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新しいさくら・新しい名古屋テレビ塔 【SAKURA TOWER】

tv-yakei.jpg tv-sakura-2.jpg tv-sakura1.jpg 名古屋テレビ塔株式会社 と 株式会社ネイキッド(東京都渋谷区)は、名古屋テレビ塔の特設会場と展望台に「桜」をモチーフとした花見空間 『SAKURA TOWER by NEKED』 を3月26日~実施しました。名古屋の街「久屋大通」に新しい楽しみ方をつくりだしました。名古屋テレビ塔がこの春「桜」をモチーフに施設全体を演出しました。日中でも楽しめる、光と香りで楽しむ幻想的な世界を創出しました。
100mの屋外展望台『スカイバルイコニー』では、日本庭園を思わせる装いで春の訪れを表現しています。天空の庭園は「綾小路五山監修」で自然を楽しむ空間が誕生しました。 名古屋テレビ塔は「国の有形文化財」で、2014年には開業60周年を記念して、LED1万個を用いたライティング【煌】が登場しました。

個別記事|Posted 2016.3.30|

映画「ローマの休日」を彩ったスクター”VESPA”

romaholiday2.JPG

1953年、公開の映画「ローマの休日」でグレゴリー・ペック演じる新聞記者とオードリー・ヘップバンが演じるアン王女がピアッジ社製の「スクーター・ベスパ」に乗ってローマ市内を駆け回るシーンはあまりにも有名です。更には、ヒロインの王女を撮影しようとするエデイ・アルバートが扮したカメラマンは、初代フィアット500ポリーノを操って登場。カメラマンが新聞記者と、王女が二人乗りするベスパをポリーノで追走するカットも名シーンです。

写真は当時使用された「スクーター、ベスパ」と同じものが、2014.02.15.05.15まで、名古屋市名東区極楽にあるオリエンタルビル株式会社・NORTHで展示されました。そんな名画の名シーンを演出し、スクーターの原点とも言われ、世界中で愛されてきた「ベスパ」は、1946年にアビッシオ社のポンテデーラーの工場で誕生しました。ピアッジオ社は1884年にイアタリア・ジェノバで創業、船舶機や鉄道用車両の製造会社として成功しましたが、第2次世界大戦末期に連合軍によって空爆され、工場は廃墟と化してしまいました。

当時の代表者であったエリンコ・ピアッジオは、工場の再起と、イタリアの復興を担うこれからの時代のニーズとして庶民が便利に移動できる安価な乗り物としてオートバイに目をつけ、ヘリコプターの生みの親。コランディーノ・ダスカニオに開発を依頼しました。ダスカニオが早速、開発したオートバイは技術を随所に配した画期的な内容で、それはイタリアン・デザインの粋を集めて描かれた丸みを帯びたスタイルは、瞬く間に人々の心を掴みました。このオートバイはテールエンドへかけての膨らみが「蜂」のようであったことから「VESPA」の愛称を与えられました。



個別記事|Posted 2014.6.9|

台湾を農業国にした八田與一 : 歴史から何を学ぶ

烏山頭ダム 戦前、日本人が悪いことだけでなく、良いことも行ってきたことを八田與一技師が証明している。日本の50年間に及ぶ台湾統治におけるインフラ整備には、莫大な資金と優秀な人材が多く投入されている。当然、嘉南大圳もその一つに過ぎない、進歩的文化人と自称する人達は、嘉南大圳を「日本の利益のために造ったのであって、台湾人のためではない。八田技師は資本家のために働いた技師であり評価することはない」と言う。しかし、嘉南大圳の恩恵や八田技師その人を最もよくしっているのは、進歩的文化人と自称する人たちではなく、現地で生活した水の恩恵を受けている台湾人その人達である。

また、この他にも満州や朝鮮で地域のインフラ整備に資本と技術力をつぎ込んだ例はいくらでもある。戦前の満州で貯水量125億トン琵琶湖に匹敵する人造湖を持つ豊満ダムを造り、中国東北地方の治水と電力供給に寄与し、一大工業地帯に変貌させた事実・朝鮮の鴨緑江に貯水量76億トン、発電量70万キロワットの当時世界最大の発電量を誇る水豊ダムをつくり、北朝鮮の工業化に寄与せしめた事実。また文化面ではフイリピンのマニラ郊外にあるラス・ピニャス教会に現存する世界で唯一のバンブーパイプオルガンが、大東亜戦争中、日本軍によって守られ、1942年には日本軍政部が費用を出して分解修理し、今日でも現地に感謝されて使われている事実。しかしこれらの光の部分が正しく報道され、日本国民に知らされることはほとんどない。

影の部分を直視し正確にしる知ることも大切なことであると同時に、光の部分も同じようにしる必要がある。偏った歴史教育、いわゆる影の部分ばかりを強調する自虐史観教育や報道からは、心豊で世界に貢献する誇りある日本人は育たない。公に奉仕し、人類のために尽くす人材を育成することが、これから日本にとっては急務である。八田技師の考え方や生き方ない学び、21世紀を担う若人の中から、現地の人々から慕われる第二、第三の八田技師が育つことを願ってやまない。
(このHP管理者遠山の友人:作家・古川勝三氏の「台湾を愛した日本人」著書の講演記録解説から)

個別記事|Posted 2012.3.14|

徳川 恒孝 (徳川宗家18代当主)世界に示したい質素倹約の精神

tokugawa1.jpg江戸時代265年を支えたのは「自然との共生」と言う遺伝子だった。徳川宗家18代当主の徳川恒孝さん(71)が著した「江戸の遺伝子」の中で書いている、それは今や世界のキーワードになっている。その省資源文明の遺伝子を持つ日本人こそが世界の未来の方向性を示せるという。
【現代に生かさなければならない遺伝子】とは何か? これからは地球規模で将来の資源と人口のバランス考えなければ大変ことになる。自然との素晴らしい共生を265年もしてきて、完全な省資源社会をつくった。鎖国というユニークな体制の中で日本独自の文明文明をつくった。当時3,000満人を超えた人々がいた。植民地から金が入ってくるわけではなし、資源には限界があった。その中でどう公平に生きるかとう考えかたが行き渡った。
江戸時代の始めからヨーロッパは植民地の獲得に乗り出していた、日本はその中に入っていないので楽しみはお金がなくても出きることに気がついた。江戸中の人が武士も含めて川柳をつくるのに熱狂する。自分の貧乏も笑い飛ばしてしまう。ものの考え方がお金中心から本当の楽しみって何か?不思議な文化がの力がそこにできた。

【江戸時代の徹底したリサイクル、森つくりの発想は現在とても大切なことである】江戸時代に里山とうものができた。木を植えると水が綺麗になり、栄養分が川に流れ、魚が増えて食料事情もよくなる。ものを捨てないリサイクル社会を徹底しました。人の排泄物も農民が集めて有機肥料として活用した。ぜいたくもやめた。将軍から下々の者まで質素倹約が美徳となった。徳川吉宗は冬でも木綿を着て裸足で歩いている。江戸に戻るということは自然に戻るということで、生き方そのものを自然と密着させる。江戸時代は自然と一致する質素で明るい社会をつくることを目指していました。(2011年03月18日・中日新聞より一部抜粋)

個別記事|Posted 2011.3.24|

1910年以来、100年ぶりに公開された豪華絢爛【大山車まつり】の山車

1910年以降はじめて公開・尾張名古屋開府400年で【山車13台】\\\\\\\\\\\\\\\\第56回名古屋まつりが2010年10月16日に開幕した。開府400年を記念した「大山車まつり」が先陣を切り。豪華絢爛の山車が名古屋城を目指し、名古屋市中区の本町通りを練り歩いた。山車は同市の中村区、中区、東区、緑区の各区から13台が結集した。中区の若宮八幡社でからくり人形の演技を奉納した山車が次々に通りに出ると、沿道の見物客から歓声が上がった。本町通りは江戸時代の目抜き通りで、山車が通るのは1910年に催された記録がある。「名古屋城開府300年記念祭」以来、100年ぶりである。名古屋曳絆(ひきずな)会は、100年前の人に負けない技と心意気で盛り上げた。

10月17日には、名古屋城の西の丸広場で名古屋市文化財の山車4台がずらりと並び、天守閣をバックにからくり人形の演技を披露した。この山車が名古屋城に入るのは21年ぶりで、名古屋開府400年の節目に開かれた同日までの名古屋まつりに合わせて、緑区から搬送した。正門をくぐる際には、最上部を解体して入場。囃子の音に合わせ、巧みに操られたからくり人形が台紙に「寿」や「城」と筆書きすると、見物人から大きな拍手が起こった。                       2010年10月16日・17日:中日新聞より
【このホームパージの管理者の思うこと:100年に一度とは観光資源が少ない名古屋にとって寂しいことである。人生で一度も見れない人が存在することになる。今後も多いに、地域内は勿論、日本国内、世界に発信をして頂きたい】

個別記事|Posted 2010.10.24|

平安初期の家(養命酒駒ヶ根工場)

yayoijidaiminka1.JPGこの住居は、養命酒駒ヶ根工場内遺跡より発掘された平安時代初期の住居址を復元したものである。住居の規模は、東西8.0メートル、南北7.9メートル、居間の広さは17平方メートルの隅丸方形(すみまるほうぎょう)の竪穴式住居である。 
復元された建造物の高さは5メートルで入母屋式(いりもやしき)構造の古代の特徴をもっている建築様式の住居である。構造は、四本の丸柱、梁と桁は手斧による削り角、屋根は母屋梁(もやはり)の上に木舞(こまい)をかけ茅葺屋根とした。壁は板を用い杉皮を両面に張り、割小舞で押さえてある。建築設計は、日本考古学協会員友野良一氏によるものである。     

 

個別記事|Posted 2009.11.1|

2009年 1月18日・在住外国人家族と小牧市民の「絆の樹」

komaki-rcsyokujyu090118.gif RID2760、小牧ロータリークラブは、2009年1月18日(日)地域の外国人家族と小牧市民の家族を集め、文化や習慣などの違いを学び、相互理解を深めながら例会を開催し「外国人ファミリーと絆の樹」の若木を協力して植樹し、樹には、それぞれのファミリーネーム記載した。終了後、プロサッカーチーム「名古屋グランパス」の選手10人、コーチ5人が、地域の子供たちとサッカー教室を楽しんだ。植樹祭の写真は、右後方、直前地区幹事・河村嘉男氏、右から小牧市長・中野直樹氏、ペルー共和国大使・ルイス・メンデビル・カナレス氏・左端は、このホームページ管理者の遠山堯郎 (写真提供・中日新聞)

個別記事|Posted 2009.1.26|

青森・弘前公園・2632本の桜

hirosaki7.JPG2632本の桜の維持費予算は、市民も納得して年間、5億3千万円。桜の寿命は約60年ですが、270年を超える木もあります。長く持たせる方法は新しい枝がでてきたら親木を切ると、新しい枝葉はその長さが老木の中に根を張るそうです。

個別記事|Posted 2007.9.18|

ノルウエースヴァウルヴァウールの朝焼け

ノルウエースヴァウルヴァウールの朝焼け\\ノルウエースヴァウルヴァウールの朝焼け
06年02月・辻 奈緒さん撮影・名古屋瑞穂ロータリー事務局員
スカンジナビア航空の写真展に出品、2位に入賞

個別記事|Posted 2006.9.17|

圓山大飯店(台北グランドホテル)

圓山大飯店(台北グランドホテル)\\\\\\\\\\圓山大飯店(台北グランドホテル)\\\\\\\\\\ 台湾神社発祥の地に建つ、1978年世界ホテルランク「7位」の栄誉を受けている。1987年、総督乃木希典は圓山で、故白川親王の詞を立てようとお決めになりました。
1889年4月1日、台湾神社の地鎮祭が行われました。1890年5月に起工、1901年10月20日に完成しました。神社の境内は八万坪にも達し、台湾で唯一の官幣大社であり、しかも最大の神社でした。同年の10月28日に大祭式典を行い、日本国内数多くの高官が台湾に行きました。北白川親王の王妃も船で式典に参加されました。その後、毎年10月28日は台湾神社祭が行われていた。皇太子殿下裕仁親王は1923年(大正12年)4月12日、東宮皇太子殿下裕仁親王は、軍艦にて横浜港から出発で式典参加。圓山大飯店(台北グランドホテル)は、このHPの管理者、遠山堯郎の友人台北延平ロータリー会員:李 元義さん(YY.Lee)が取締役顧問をしている。

個別記事|Posted 2006.9.17|
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