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最強の柔道家は人間力から(ブログの管理者⇒すべてに言えると考える)


金メダル一号となった高藤直寿や阿一二三(ともにパーク24)が座礼して畳を降り、大野奨平、永瀬貴規(ともに旭化成)は白い歯をこぼすことなくライバルと健闘をたたえあった。「礼に始まり礼に終わる」。東京五輪で日本の柔道家たちの抑制の利いた振る舞いもまた、見る者の心に刻まれた。「ただ強いだけでいいわけではないと言い続けてきた」全日本柔道連盟(全柔連)強化副委員長を務めた山田利彦が言う。

今大会、柔道日本代表の特色の特色の一つが、人間力や教養の育成にも少なからず時間を割いたことだ。合宿中に時折組込んだ書道や陶芸、茶道の体験。遠まわりに見える時間にも、男子監督の井上康生監督には外の世界に目を開かせ、興味をも持って取り組むことで自主性を育む狙いがあった。かったてない緊張感と期待に包まれる自国開催の五輪。「最後に腹をくくって戦うことは、人間として自立しないとできない」。言われるがままのお仕着せでは極限を乗り越えるには限界があるとみていあた。


著名なアスリートによる講演などにも選手を連れ出し、芯が弱いとみた選手には海外への単身者修行を勧めた。口下手な永瀬ににコーチの金丸雄介は「本を読め」と論した。「(考えを)を言語化できないことは、抱えている問題を解決できないことにもつながる」。抜きんでた技にしなやかな心を加えた柔道家たちは、五輪にすむといわれる魔物も何するものぞと、堂々とした戦いを見せた。

日本オリンピック委員会(JOC)も掲げる「人間力なくして競技力向上なし」の範をを示すような育成を実現した柔道界。しかし、足元を見ると。裾野では地盤沈下が迫っている。全柔連への登録者数は2006年から15年連続で減少。2019年で14万人超と直近ピークの2005年から3割減り、中学生は4割減った。1964年東京大会五輪競技に採用されて以降、柔道は国民的行事での成果をあびることで、競技人口を拡大してきた。

しかし、娯楽や習い事が多様化するなか、五輪が万能だった時代は過去のものに。打ち込みなどの反復練習も多い厳しい稽古や、しきたりや伝統の重視といった柔道の特徴は美徳でもある反面、現代っ子にはハードルが高いのか。リオデジャネイロ五輪で成績がV字回復後も、減少に歯止めがかからない。=日経・西堀卓史2021.10.29の原稿から転載)

個別ページへ |Posted 2021.11.3|

残念・パウエル元米国務長官の訃報(イラク開戦 深い悔恨)2021.10.20日経

2021年10月18日に84歳で死去したコリン・パウエル元アメリカ国務長官は、黒人として初めて米国の安全保障や外交の要職を歴任した先駆者だった。湾岸戦争の指揮官として英雄視される一方、イラク戦争開戦に国務長官として事実無根の情報を力説したことを深く悔やんだ・超大国の「戦争」を知る信念のリーダーが去った。
ニューヨークの黒人街でジャマイカ系移民の息子として生まれた。大学卒業後、陸軍に入り、ベトナム戦争の戦地に2度就いた。若き軍人は大統領補佐官(米国安全保障担当)、ブッシュ(第41代)政権時の米軍制服組トップの統合参謀本部長にいずれも「黒人初」として就任した。

米国の「英雄」とみなされたのは1991年の湾岸戦争だった。前年にクエートに侵攻したイラクの軍事施設をピンポイントの空爆で破壊する「砂漠の嵐作戦」を指揮した。テレビのニュースに映し出された作戦の状況を理路整然と説明するパウエルの姿は超大国の強さを世界に見せつけ、米世論の絶な指示を得た。黒人大統領とう期待は高まったが、妻の反対もあって1995年にお「自分には熱意がない」と不出馬を告げ、その後も呼びかけに応じなかった。2000年選挙はブッシュ大統領(第43代)の選出を支持し、翌年発足したブッシュ政権で黒人初の国務長官に就いた。明暗はここで分れる。2001年9月の米同時テロ後、米国はイラク批判の矛先を向けた。

2003年の演説でフセイン政権が大量破壊兵器を隠しもっているとする米情報機関の見解に「疑いがない」と明言。翌年のイラク戦争開戦への道を開いた。後年、大量破壊兵器の存在が否定されると「私が世論を曲げたのは間違いない」と、と情報機関の見解をうのみにしたことへの深い痛恨を口にした。穏健な保守主義を志向し、欧州の同盟国などを重視する国際協調の路線はチエイニー副大統領ら保守主義波との対立が絶えなかった。白人エリートと違う経歴、そして軍人として戦争の現場経験が、パウエル氏の率直さとバランス感覚を研ぎすましたのだろう。

国際協調を断ち切り自国第一に突き進むトランプ前大統領の存在に危機感をあらわにした。2020年8月オンラインの民主党大会で「いまの米国は分断した国家だ。我々の大統領は分断を生み、それに全力を傾けている」とトランプ大統領を批判し、現大統領であるバイデン氏への支持を明言した。米国が軍事力を使うのは国益が死活的に脅かされた時の最後の手段だあり、目的を明確にして、圧倒的な戦力を集中的に投入しなければならない。ベトナム戦争の経験から生まれた武力行使の考え方は「パウエル・ドクリントン」と呼ばれる。

パウエル氏が活躍した1990年代からの世界の安全保障を巡る情勢も、超大国の米国の役割も激変した。米軍のアフガニスタンからの撤収は、米国の外交・安保政策の転換を象徴する。「素晴らしいい友人とメンターを失った」黒人初の国防長官であるオースティン氏はこう悲しんだ。米中対立が緊張感を増す中、パウエル氏が残した足跡や理念に、米国が学ぶものはまだ多いはずだ。(日経2021.10.20ワシントン支局長・菅野幹雄)

個別ページへ |Posted 2021.10.25|

トヨタ自動車 入社式 豊田 章男 社長の挨拶(全文) 2021.04.01

皆さん入社おめでとうございます。昨年は、新型コロナウイルスによる感染拡大での影響で残念ながら入社式をすることができませんでした。今年もギリギリまで悩みましたが、オンラインという新しいい形で実施することができましたので、昨年お話しできなかった入社2年目の皆さんに向けても、私の思いをお伝えしたいと思います。これまでの入社式で、私が必ずお話ししてきたことがあります。それはとにかく「3年間ガムシャラに働いて欲しい」ということと、「クルマを好きになってほしい」ということです。皆さんにも同じ言葉を送りたいと思います。私が社長に就任してから入社された方は2万2,000人。全従業員の4人に1人が、私の言葉を胸にトヨタでの人生をスタートされたことになります。ただ残念なことに、そのうち約1割の方がトヨタを退社されております。私が社長として、この事実を重く受け止めております。

特に若いうちに退社を決めた理由の一つに、デジタル化の遅れがあります。今のトヨタには情報を持っている人がえらいという風潮があり、情報が共有されず、一部の人だけのものになっている実態があります。この現実を変えるためにも、デジタルネイティブ世代がリーダーとなり、この3年間でデジタル化を一気に進め、世界のトップレベル迄もっていきたいと思います。そうすることで、必要な人が、必要な時に、必要な情報を入手できるようにし、みんなが同じ方向を向いて仕事に打ち込める環境を作りたいと思っております。

そうしてもう一つ、自動車産業550万人の仲間とともに取り組むテーマが「カーボンニュートラル」です。その実現にはイノベーションが不可欠です。私は、イノベーションは多様性の中から生まれると考えております。本日ご参加の皆さんは、これまでの経験もキャリアも1人1人異なります。多様な考え方や個性を大切にして、イノベーションの原動力になってほしいと思っております。皆さんの中には、人生の節目をコロナ禍で迎えたことについて「運が悪い」「なぜ自分たちが」思っているかもしれません。でも、皆さんが積み上げてきた経験は必ず役にたちます。過ごしてきた日々に、自信を持ってほしいとと思います。

これから職場に入れば、仕事の厳しさや悩み、苦しむこともあると思います。私自身がそうでした。キャリア入社でトヨタに入り、理不尽な状況に苦しんだこともあれば、自分の力のなさを実感し、挫折したことも1度や2度ではありません。それでもなんとかやってこれたのは、「トヨタが好きで、車が好きだ」という気持ちが消えなかったことと、つらい時こそ寄り添ってくれた上司、同僚、友人がいたからです。私は、挫折を経験する度に人は成長し、優しく、また強くなれると思っています。新卒の皆さん、挫折を恐れないでください。キャリア入社の皆さん、他の会社での経験というトヨタと比べるものがあることを強みにして下さい。そして皆さん、困った時に頼りにできる友人や仲間を大切にしてください。

上司の方々は、職場の一人一人に寄り添い、その成長と活躍を自分自身の喜びにして下さい。その為にも、業務を付与する時には十分な情報共有をして、仕事の目的、納期、優先順位を明確にしてあげて下さい。全員が仕事の意味を腹に落として働ける職場作りをお願いしたいと思います。今は変化が激しい時代ですので、新入社員の皆さんはもちろん、上司や先輩もいろいろと沈黙だけでなく発言を、説得でなく共感を、利己ではなく利他を優先して欲しいと思います。そして失敗をした時には、絶対に隠したりごまかしたり、嘘をついたりしないこと。立ち止まって、全員参加で、現地現物で真因を突き止め、対策を取り改善をする。これがトヨタの行動規範であり、創業から受け継いできたDNAでもあります。

トヨタという会社は、日本の未来の為に自動車産業を興そうという、豊田喜一郎や創業メンバーの志から生まれました。創業メンバーは苦労の連続で、何もいいところを見ておりません。いいことばかり見させてもらっている現役の私たちが、リスクリスク言って何も挑戦しなければ、先人にも後人にも合わせる顔がありません。継承者こそ挑戦者でなければならない。皆さんもこの思いを刻んでほしいと思います。

最後に、少し視点を変えてみたいと思います。皆さん、窓の外を見てください。満開の桜は見えませんか。私がいるのは自然豊かな場所ですので、耳を澄ませば鳥のさえずりも聞こえます。人間以外の生き物は、コロナがあってもこれまで通りに暮らしています。右往左往しているのは、人間だけかもしれません。人間が主人公だ、と思っている地球という劇場の見方を変えてみるいい機会だと思います。皆さんがこうした視線で世の中を見るようにして下さい。未来の為に、地球の為に、私たちがやるべきことは沢山あります。
これから一緒に頑張って参りましょう。改めまして、入社おめでとうございます。(2021年4月1日・原文)

個別ページへ |Posted 2021.10.8|

東京開催のオリンピック・パラリンピックが終わる

2021年9月5日・東京オリンピック・パラリンピックが終わる。事件が起きたのは開幕直前だった。1972年1月、札幌五輪のために来日していたオーストラリアの滑降王、カール・シュランツが企業の企業の広告活動で報酬を得ているとして失格になったのである。国際オリンピック委員会(IOC)のブランテージ会長が激怒した。

▼アマチュアリズムを信奉する、この人ならではの決断だったという。しかいその強硬ぶりに批判が湧き出し、のちにIOCはアマチュア規定を削除した。80年代からはサマランチ会長のもとで商業化へと舵を切り、ロサンゼルス大会がその象徴となった。昨今では、IOCは世界に五輪を売り歩く営利組織だと評される。

▼コロナ過でほぼ無観客の開催となる東京大会も、テレビの放映権料料が入るからIOCの腹は痛まないという。目下この組織を率いるバッハ会長は、7月14日に、菅総理と会って意気軒高な様子を見せていた。あす(7/16)は広島を訪れて平和を祈ると言う。大いに日本を知る、IOCなるものを、多くの日本人がどう見ているか知ると良い。

▼シュランツ事件など今は昔。往時のようなアマチュア至上主義には戻れないにしても、開催国に負担を強いて、自らは肥え太るIOCビジネスが限界に来ていることは明白だろう。コロナの東京感染者は、7月14日に、1,000を大きく超えた。そんななかで開く東京大会が五輪貴族たちに改心をもたすなら、いささかの救いはあると思うが・・・。(2021年7月15日・日刊紙の夕刊「春秋」から)

このホームページの管理者は思う「オリンピック・パラリンピック」は世界平和のためではなかったのか?一説に、東京大会を中止したら、巨額な違約金をIOCは要求してくる。よって中止できない状況に追い込まれている。これが事実であれば「全ての関係者が報道しない」如何なものかと考える。(蛇足・パラリンピックの成功は開催国の力量を問われると思う)
(パラリンピックに出場した選手が「自分らしさを追求する姿」は素晴らしかった)

 

 

個別ページへ |Posted 2021.9.5|

石原軍団に学ぶ人生哲学 (東京大学名誉教授)

昭和最後の大スターだった渡 哲也さんが、2020年8月10日に亡くなった。渡さんは33年前に世を去ったスーパースター、石原裕次郎さんが立ち上げた石原プロを引き継いでいたが、それも2021年には解散するらしい。2代目だった渡さんの先代への心酔ぶりはつとに名高い。そもそも初対面の出会いが決定的だったらしい。日活の新人として採用された渡さんは、撮影所を連れて回され、俳優のみならず幹部や事務方に挨拶して回ったという。いずれも軽く会釈されるほどだった中で、いよいよ憧れの大スターの前に進んだ。その時、食堂で裕次郎さんは昼飯を食べていたが、手を休めて席を立ち上がり「君が渡君ですか。頑張ってください」と肩を叩いてくれたという。渡さんにとっては思いがけない感激の一瞬だったのだ。

10代後半ののころの渡さんはずいぶん不良仲間と遊びほけていたらしく、教育熱心で厳格な父親にとって気がかりでしょうがなかったという。受験勉強に身が入らなかったという。受験勉強に身が入らない高校3年生の長男に宛てた手紙が今でも残っている。「父親は今、お前のことを非常に心配している。・・・太陽族などと呼ばれる石原裕次郎が今、世に名を上げている。だからのんきにやっていれば、裕次郎のように名を上げられるというようなことを、まさかお前は考えてはないであろう。無数の道楽息子の中の一人が、時流に乗って偶然に名を上げた、宝くじを買うようなことをお前は考えているとも思えない。・・・」(柏木純一『渡 哲也 俺』毎日新聞社)まさか、実名を挙げて道を踏み外したと、咎(とが)めた道楽息子の代表の下で生涯にわたって俳優としての人生を全うするなどとは、思いもよらなかっただろう。

しかし、事実は小説よりも奇なりというか、まさしくその人生を歩み「日本一愛された男」といわれる先代の名を汚さないように生きた誠実さが多くのファンの共感を呼んだのである。その背景にあるエピソードはとりわけ心を揺さぶるものがある。俳優になりたてにお頃、お風呂に入りながら、裕次郎さんが言ったことが忘れられなかったという。「酒を飲むなら、俳優同士とではなくスタッフと飲めよ」「俳優である前に、一人の社会人であれ」自分たちが今あるのは、陰で支えてくれるスタッフがいるおかげであり、世間感覚を忘れては」いけない、という裕次郎さんの人生哲学えある。ほとんど説教がましいことを言わなかった裕次郎さんが口にした、数少ない”戒め”であった。

「新聞を読みなさい。社説はね、新聞の良心だ」大企業の社長が幹部候補生に訓戒するなら分かるが、石原プロの中の会話だからこころ改まる。さらにまた石原プロ社訓として伝えられる裕次郎さんの言葉も忘れ難い。「人にしてやったことはすぐに忘れろ。人からしてもらったことはずっと覚えておけ」という戒め。「石原軍団」と通称される鉄壁の絆が生まれたのも分かる気がするの。阪神・淡路大震災や東日本大震災の後、石原軍団は何日間も炊き出しををして被災者の慰問に努めた。このようなボランティア活動をさりげなくやったことを思いだすとホッと心が和んでくる。(本村凌二 きむら・りょうじ=東京大学名誉教授・専門は古代ローマ史。2020年10月8日:日経新聞)

個別ページへ |Posted 2021.8.26|

朝鮮人について発言した著名人


・本田宗一郎 『韓国人と関わるな』
・吉田 松陰 『朝鮮人の意識改革は不可能』
・伊藤 博文 『嘘つき朝鮮人とは関わってはならない』
・新渡戸稲造 『朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある』
・新井 白石 『朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく』
・夏目 漱石 『余は支那人や朝鮮人に生れなかって善かったと思った』
・福沢 諭吉 『この世界に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝鮮人だ』

個別ページへ |Posted 2021.7.12|

台湾有事のリアリティ(電気新聞ウエーブ・時評から:2021.06.18)


■最初にこのホームページ管理者は、日本の大きなメディアは報道されないことが多すぎる気がすると感じている。2021年6月18日の電気新聞に小川和久(おがわ・かずひさ)氏=少年自衛官が投稿した「台湾有事のリアリティ」の内容を載せることにした。静岡県立大学特任教授、国家安全保障に関する鑑定機能強化会議議員74歳■

中国の軍事力増強を前に、日本国民の間で台湾有事への危機感が高まっている。今回はリアリティの面から台湾有事をを考えてみたい。一般的に思い浮かべるのは、ある日、中国の大軍が陸海空から台湾に襲いかかり、占領してしまう図である。そうした想像をかき立て、威嚇するために、中国側も武力統一の意思を隠していない。しかし、そのパターンでは武力統一は成り立たない。

台湾軍の反撃、米軍の来援をはねのけて台湾に上陸し、占領するためには、中国側はおよそ1,000万人陸軍を投入しなければならない。米台軍の反撃で半数は海の藻くずとなるからだ。大規模な上陸作戦を行う場合、私が習った定員13,000人、車両3,000両の旧ソ連軍の自動車化狙撃師団(機械化狙撃師団)の場合、一週間の燃料、弾薬、食料とともに海上輸送するには、一個師団だけで50万トンの船腹量が必要というのは、今日でも世界各国に共通する試算表である。100万人だと5,000万トンが必要となる。

中国式に詰め込んだとしても、3,000万トン以上は必要だろう。そんな海上輸送力は中国にはない。米国国防総省の年次報告書も、海兵隊を使った中国の強襲上陸能力は約一万人としている。しかも、中国は台湾海峡上空で航空優勢(制空権)をとる航空戦力も十分ではない。そうなると、リアリティを持つのは台湾国内に騒乱状態を引き起こし、それに乗じてかいらい政権を樹立する方法だが、その一つ福建省に1,600基以上展開する短距離弾道ミサイルなどによって台湾の政治、経済、軍事の重要目標を攻撃し、その混乱に乗じるパターンは米国との全面戦争の危機が大きく、中国が採用するとは思われない。

残る選択肢はハイブリッド作戦である。2014年のクリミヤ半島では所属不明の武装集団が士気の低いウクライナ軍を駆逐し、ロシア寄りの住民の支持の下、ロシア併合が無血で実現された。ハイブリッド作戦は、軍事力を含む「何でもあり」の戦法で、人民解放軍の喬良、王湖穂両大佐が1999年に出版した『超減戦』に起源を持つとされる、政治、経済、宗教、心理、文化、思想などの社会を構成する全ての要素を兵器化する考えである。


中国はこれを2003年、輿論戦、法律戦、心理戦の三戦として『人民解放軍政治工作条例』に採用した。「砲煙の上がらない戦争」の別名通り、超限戦と古代中国の戦略の書『孫子』を融合し、戦火を交えず勝利しようとする高等戦術である。米軍は2008年にハイブリッド脅威と位置づけた。このように、台湾や日本の尖閣諸島などはハイブリッド戦や三戦の渦中にあると考えてよい。それを抑止するには、次の手だてを着実に実行するほかにない。

まず、ハイブリッド戦と思われるあらゆる兆候について台湾は米国と日本に通報するシステムを構築する。次いで、日米両国は「台湾有事は日本有事となる」との認識を明らかにし、台湾からの通報があり次第、国境付近に軍事力を展開する体制を整える。そして、日米台の連携を世界に公表するのである。これによって、中国にハイブリッド戦をためらわせる抑止効果は一気に高まる。中国の抗議にたじろいてはならない。

個別ページへ |Posted 2021.6.19|

「渋沢栄一 翁」の合本主義


NHKの大河ドラマで「青天を衝け」が放映されている。その一万札の肖像画に「渋沢栄一翁」起用されてブームになっている。その背景には今の資本主義のあり方が問われており、そのあるべき姿として「日本資本主義の父」と言われた渋沢栄一の考え方に注目が集まっている。

渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれているのは、日本で最初の銀行「第一国立銀行(現(みずほ銀行)の設立を皮切りに、東京海上保険会社(現東京海上日動)、東京瓦斯会社(現東京瓦斯)、現在の王子製紙といったそうそうたる企業の設立に関わり、また、東京株式取引所(現東京証券取引所)東京手形交換所、商法講習所(現一橋大学)そして、日本女子大学校(現日本女子大学)といった日本経済を支える組織の設立にも関与した。渋沢栄一が生涯で関係した企業数は500社、社会公共事業の数も600にのぼると言われている。

渋沢栄一は「資本主義」という言葉をつかわず「合本主義」という言葉を使った。」「合本主義」とは、公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も人材と資本を集めて事業を推進させるという考え方。資本主義の場合、事業を行う原動力は資本家の「もっとお金を儲けたい」「お金持ちになりたい」という個人的欲望。しかし合本主義では、そういったそうした個人的欲望は事業の推進力といして必要としつつ、同時に、その結果として「国や社会が豊かになる」「人々が幸せになる」という目的が達成されなければならぬとい考えた。

そのために、一部の人に富が集中するのではなく、「皆でヒト、モノ、カネ知恵を持ち寄って事業を行い、その成果を皆で分かち合い、皆で豊かになる」ことが大切と説きました。「右手に算盤、左手に論語」という言葉で有名な渋沢栄一の著書「論語と算盤」では、こうした合本主義の考え方を述べている。この本が出版されたのは1916年当時のの日本は大正デモクラシーの中で経済はバブル化し、資本主義や格差拡大が進んでいた。こうした状況に渋沢栄一は警鐘をならした。(2021.05MFレポートより)

 

 

 

個別ページへ |Posted 2021.6.8|

台湾の独立運動の原点「二・二八事件」とは 

今回テーマになっている事件は台湾史に残る大虐殺ですが、中国国民党による戒厳令時代には、この事件の名前を口にすることすら許されませんでした。国際政治学者の林建良氏もこの事件について初めて知ったのは、研修医として東京大学に来ていたときのこと…。だそうです。2月28日は台湾では「平和記念日」と呼ばれる祝日の日です。

73年前のこの日、台湾では「二・二八事件」と呼ばれる非常に残虐な事件が起こっていた。「二・二八事件」とは、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、蔣介石率いる中国国民党が台湾市民を弾圧・虐殺した事件です。当時人口600万人の台湾で、この事件の死者は3万人にも上ると言われています。ただ、実際被害にあった人の数は、当時の政府の圧力のせいで正確な数字は分かっていません。きっかけとなったのは、ある台湾人の女性が闇タバコを販売していたところを中国国民党の警察が摘発したこと。当時の台湾では、タバコは中華民国政府の専売品。一市民が許可なく販売することは許されていませんでした。

しかし、その女性が売っていた闇タバコのもとを辿ると、中国の高官が台湾人に無理やり売らせていたものだったのです。にも関わらず、その女性の摘発に当たった中国人はタバコの売上だけでなく彼女の全財産を没収。その場に居合わせた台湾人の市民は激怒したところ、警察は銃を発砲しながら逃走。その弾が、何の罪もない一人の台湾市民に当たってしまった。それをきっかけに台湾人と中国国民党の間で大衝突になりました。闇タバコを売った女性が原因ではない「二・二八事件」の本当の原因はもちろん、上に述べた自ら闇タバコを売らせておいて、それを摘発するというのも非常に汚い中国国民党ならではのやり口です。

「根本的な原因は、そのことではないんです。」とおっしゃいます。その理由は、蒋介石たちが乗り込んでくる前の台湾国内の様子を振り返ると見えてきます…というのも、台湾は戦時中も非常に豊かで、実に2年分の食料の備蓄があったと言われています。しかも、日本の敗戦以降、蔣介石が来るまでの2ヶ月間は無政府状態の台湾でしたが、日本統治時代のような平和と秩序がそこにはあったと言われています。

ところが蔣介石が台湾に乗り込んでから、外省人による略奪・暴行が多発し、潤っていた台湾もたった1ヶ月で大飢饉に陥ったのです。つまり「二・二八事件」とは、これまでの外省人に対する台湾の怒りが積もり積もって爆発した結果だったのです。「二・二八事件」が勃発した当初、台湾の行政長官は、市民に対して融和な姿勢で対話していました。しかし、二枚舌もいいところに、すぐに当時中国本土にいた蔣介石に電報を打ち、「台湾に軍を派遣するように」と連絡したのです。

1週間後、国民党軍は、台湾人を無差別に虐殺し、その被害者は一ヶ月で三万人とも言われています。その時、国民党軍に一番の標的にされたのは、台湾人エリート層でした。理由は、当時の台湾人エリート層は敗戦前の日本によって教育された集団。戦争中、日本軍に負け続けていた中国にとって、日本的な要素を持つ集団は一掃してしまいたかったのです。そういう理由で、「日本的な台湾人」は非常に残虐なやり口で処刑されてしまいました。未だに遺骨が見つからないエリート達がいます。

日本では全く報道されていない「二・二八事件」ですが、日本政府はこの事件を一切言及していません。台湾への見舞いや励ましのメッセージを、戦後70数年年たった今も発したことはありません。しかし、この事件が起こったのは1947年のこと。当時の台湾の主権を握っていたのは、台湾でも中国でもアメリカでもありません。1952年のサンフランシスコ講和条約締結まで、台湾は、日本主権の領土でした。つまり「二・二八事件」で虐殺さえた3万人もの知識人は、文化的にも法律的にも日本人でした。

筆者は、このことが日本では知られていないことを憂慮されている。しかし、日本のこの事件に対する無関心をきっかけに、台湾は「自分で自立しないといけない」という覚悟を持つようになったと言われています。そして、「二・二八事件」は台湾にとって独立と建国を進める原点になったと、おっしゃいます。(国際政治学者の林建良氏の「TAIWAN VOICE」から)

個別ページへ |Posted 2021.3.1|

2024年上期に 一万円札の新札は「渋沢栄一」

2021年に没後90年を迎えNHKドラマや新札発行を前に改めてその足跡が注目される。格差の憤(いきどうり)り渋沢栄一(1840ー1931)500社近い企業創設に携わり、近代日本産業の父として米国などでも研究されている。私益と公益の調和を唱えた『道徳経済合一説『合本主義』など、幕末は尊王攘夷思想に身を投じながら、維新後にに近代化をけん引した渋沢栄一渋沢の生き方の理念は今に通じるものも多い。

ゆかりの企業や識者らへの取材を通してそれをひもとき、新型ウイルスとの戦いの中で改めて問われる持続可能な社会実現への道標を考えることが必要。
2024年の新札・10,000円⇒渋沢栄一・5,000円札⇒津田梅子・1,000円札⇒北里柴三郎

『いまなお原点:渋沢翁の教え』
日本を代表する実業家、渋沢栄一翁。その一例は清水建設(当時は清水屋)との間に、脈々とつながる縁がある。1871年、清水建設の二代目喜助が第一銀行(当時:三井組ハウス)の建築を請け負っている。現在も、渋沢栄一が関わった企業が多い。

その一例は、『IHI』『帝国ホテル』『NIKKEI』『SAPPORO』『東亜建設工業』『北原美顔』『澁澤倉庫株式会社』『東京会館』『平和不動産』『清水建設』『東京製綱』『MIZUHO』『十六銀行』『二本末學舎大学』『清和綜合建物』『ニッピ』

渋沢栄一が「帝国ホテル」に残した言葉『色々の風俗習慣の、色々の国のお客様を送迎することは、大変ご苦労なことでる。骨の折れる仕事である。然乍(しかしなが)ら君たちが丁寧に能(よ)くして呉れれば、世界中から集まり世界の隅々に帰って行く人達に、日本を忘れず帰らせ、一生日本をなつかしく思いださせることが出来る、国家の為にも非常に大切な仕事である。精進してやってくださいよ」(2021.02.10日経新聞から)

個別ページへ |Posted 2021.2.12|