剣道や弓道で「残心」という言葉があります。
刀を振るって切り結んだ後、敵の反撃に備えて心の構えを崩さないでいること。あるいは矢を放った後、緊張した心をそのまま持続していることいいます。すなわち「終わりを慎むこと初めののごとくあるべし」という教えです。
勢いに任せて突進し、敵を倒したのはいいが、そこで心を緩めてしまうと思いがけない失敗をし命を落とすかもしれない。これは、戦国時代だけの話ではありません。現在のビジネスの世界で現実的な営業姿勢や、そして現場の実施行動にも当て嵌ります。
一つの難関的プロジェクト事業を征服して祝杯を上げるときが要注意である。それは慢心して気が緩めば、すぐに停滞を退化がが始まるからです。迫力は弱くなり、貴重なアイデアは涸れてくる。競争相手は挽回しようとあらゆる手段で巻き返しを狙ってくる。仕事仲間もしかり。いつ後ろから切りつけてくるかわからない。会社経営の【残心】とは、その恐ろしさをしり、勇気と謙虚な心を持ち戦うことではなかろうか。日々の格言として是非、実行語録に加えてください。
本文は、このホームページ管理者が中部経済同友会で尊敬しお世話になっている、岩部建設株式会社の岩部一好氏が自費出版された本を頂戴したので、自分のビジネス決算期34期目の自社、一番心に残る内容を許可なく記載させていただいた。
岩部一好氏は、作家:故・城山三郎しとは非常にご縁の深い方でした。何かにつけてご教示をされています。ご教示された内容の中に「三つの教え」があるといいます。
● 一つ目は「専門の学問をしっかり勉強することによるライセンスの取得と技術力の向上」
●二つ目は「専門だけだと視野が狭くなるから、社会のこと、時代や世間のこと、何事も学び、特に文化への視野を広くもち続けること」そして
●三つ目は「この世のはすべてに人間が関係しています」と、何度も教えられたそうです。
納豆には脳梗塞や心筋梗塞などの原因となる血液中の血栓を溶かす素晴らしい酵素が含まれていることがわかった。ナットキナーゼは、いまや国際医学語として全世界の人々の知るところとなっている。かって、ソ連が宇宙食としての納豆研究を行ったことがあるそうだ。ナットキナーゼは、高温70度以上ではその効力を失ってしまう。従ってはるか以前から納豆は食べることで効力があるとされてきたことは正しい。
しかしこんにち、納豆は血栓を溶かす素晴らしい働きの他に、多くのパワーを秘めている。従って納豆は生で食べてよし、炒めてよし、揚げてよし・・・あらゆる料理法で私たちに健康を提供してくれる。納豆はいまや国民病とも言われる糖尿病予防のためにも大いなる効力を発揮してくれている。 納豆に含まれているビタミンB2に血糖値を下げる働きがあることはかねてから知られていた。不思議なことにそのビタミンB2は大豆に多く含まれるが、それが発酵して納豆になると約5倍のビタミンB2を含むことになる。
納豆には多くの食物繊維が含まれている。これによってインスリンの分泌が正常な速度で対応することができ、血糖値の急激な上昇を抑えてくれることになる。 糖尿病と共に、今日の生活習慣病の横綱は高血圧症である。これは塩分の塩分の取りすぎによって生じるものであるとされている。嬉しいことに納豆にはレシチンという脂質が大量に含まれていて、悪玉コレステロ^ルを抑えることのできる重要な働きをするとされている。
骨粗しょう症が今日多くの日本人を悩ませている。それはカルシュウム不足から起きてくるものである。カルシュウムを体内に取り込むためにはビタミンDが必要である。しかし、血液の中に多くのカルシュウムを入れたとしても、それを長く定着させるためには、ビタミンK2という物質が必要である。これがなければ骨になりにくいこともわかっている。ビタミンK2は腸内細菌が作り出すものであるとされているが、加齢とともにそれが減少し、必然的にK2が減って骨が弱くなってしまう。これは、骨粗しょう症である。この骨を丈夫にするビタミンK2はは驚くべきことに納豆しか含まれていない。
頭のよい子は、すなわちIQの高い子どもたちはよく納豆が好きであると言われてきてきた。納豆が健脳食として今では全世界が注目している。納豆に含まれているレシチンが脳の働きを活発にして、記憶力を高めていくからである。普通、高齢化が進むと脳の活力は弱っていく。その結果としてボケなどが起きる。納豆はそのような老人性痴呆症を防止してくれる。(株式会社エノク出版・8月号より)
かって名古屋城の本丸には、天守閣とともに本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作として、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並び、武家風書院造の双璧と言われた建物です。
勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており、1930年(昭和5年)に城郭建築として国宝第一号に指定されましたが、大変残念なことに1945年(昭和20年)の空襲により天守閣とともに消失してしまいました。
しかし、本丸御殿の室内を豪華絢爛に飾っていた、1049面にのぼる襖絵や天井板絵などは、戦災を免れ、国の重要文化財として今も大切に保管されており、また江戸時代の文献や確実な実測図、多くの古写真が残されたいることから、史跡に忠実な復元が可能だそうです。
戦後の復興に伴い、天守閣は、1959年(昭和34年)に多くの市民の熱意に支えられ再建されましたが、本丸御殿の復元はいまだ実現していません。2007年(平成19年)文化庁から現状変更許可がでて、2008年に着工し、名古屋開府400年には玄関の一部を市民に公開できるよう、本丸御殿の復元工事が進められています。
建設中の本丸御殿は風雨から守るために設けられた大きな屋根(素屋根)の中で、一部の木材搬入とともに、足場仮設が進められています。10月の玄関復元に向けて、いよいよ玄関、大廊下の柱や梁などの組みたてが始まるそうです。
(引用文献・名古屋市民経済局)
東京出身で、芸者時代に書生演劇家の川上音二郎(1864~1911)と結婚。女優と国内外をを巡業し。、帝国女優養成所を開設。音二郎のの死後は木曽川水系の発電所建設で知られる旧知の福澤桃介(1868~1938)をパートナーとして支えた。晩年は木曽川のほとりに貞照寺を建立し他。別荘「晩松園」は国の登録有形文化財となっている。
川上貞奴の生涯を描く創作オペラにお上演にむけ、貞奴とゆかりのある各務原市の有志らが動き出した。出演、音楽、メークとすべて市民が手作りの芸術作品として、2011年、生誕140周年に初披露を目指している。実業家としても知られる貞奴は晩年。貞照寺と別荘「晩松園」を各務原市鵜沼積寺町に残した。命日に貞照寺で奉納コンサートを行うソプラの歌手、金光順子さん(同市)が中心になり、3年前からオペラの構想を温めていた。
明治・大正・昭和と近代日本の変換の中で生きた貞奴。台本を執筆する、作家、多治見市の藤本尚子さんは「スケールの大きい作品になる。バイタリティーや女性としての懊悩の部分も表現したい」と意欲を示している。オペラは3部構成で、第一部は東京・芳町で芸の道を歩み始めた芸者時代、若き福澤桃介との出会いが中心という。 2010年3月8日 中日新聞から
ベルリンの壁は1961年に完成した。まさにこの壁は圧制の象徴であった。1987年東西ベルリンの境界で、アメリカのレーガン大統領が、ソ連のゴルバチョフ書記長に「この壁を取り壊すべきである」と呼びかけた。そして1989年8月23日、ハンガリーがオーストリアとの国境を撤廃した。そしてその翌月には、東ドイツから観光客が約、1万3000千人がハンガリー経由で西ドイツにに脱出した。
この頃、東ドイツの指導者ホーネッカーが辞職し、その年の10月9日、クレンツ新政権がドイツ国民の海外旅行の自由化法を制定した。これを機会に出国を求める東ドイツ国民で検問所は溢れかえった。そしてあまりの数に、、警備兵も人々の波を押し留めることができなかったのである。
そして、今からちょうど20年前(1989-11-09)、ベルリンの壁が崩壊したのである。
1989年12月25日には、ベルリンでコンサートが行われた。東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連の混声オーケストラと合唱団、歌手たちが、ベートーベンの「交響曲第9番 合唱」を演奏した。そして今やこの曲がEU(ヨーロッパ連合)の「国家」となっている。ソ連が崩壊しアメリカも衰退といわれる。そしてEU合衆国(27ヶ国)が出現した。2009年12月日には「リスボン条約」が承認された。
(株式会社エノク出版・エノク11月号から抜粋)
神社本庁は 神宮を本宗と仰ぎ 全国の神社の総意の存するところにより 神社の興隆と道義の作興に努め 皇室を尊び 日本の歴史 伝統 文化を愛し 祖先を敬ふ 真の日本人の心を守り伝えて行くため 教化活動に等に日夜努力を致してをります
昨今の社会情勢は 精神の荒廃と共に 思想の混乱を招き まさに日本人の心が失はれようとしてをります 我が国の長い歴史の中で培われた伝統文化と 豊な自然に覆われた美しい国土を明日へ伝えて行くことこそ 今国民が等しく望むところであり これを神社本庁の大切な使命と考え さまざまな 活動に鋭意取り組んでまいる所存であります しかしこのためには 愛様方の物心両面からなるご支援と ご協力とを戴かなくては 到底目的を達成しえることではありません
(このHP管理者宛、神社本庁総長 矢田部 正巳氏の手紙から抜粋)
名古屋市の熱田神宮は、昭和10年(1935年)以来、半世紀(74年目)以上を過ぎて神宮の本殿を改修している。本殿に前に「お白石持行事」が、9月4日(金)~6日(日)にかけて行なわれた。関係者の23,000人が参加した。厳かな雰囲気の中で、こぶし大の 白い石を10,000個を本殿の前に並べていく行事。
2013年に創祀1,900年記念事業で進められてきた記念事業の一環であるそうだ。9月末には本殿の改修工事が終わる。10月10日(土)には、仮殿から三種の神器【草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)】を本殿に移す儀式が行なわれる。
このホームページ管理者は、この「お白石持行事」にお招きを頂いたので、9月5日(土)に参加をした。自分の人生の中で初めての経験である厳粛な行事、そして「天皇陛下と宮司だけが入ることを許される一番奥の神殿」まで入ることが出来たことに感謝の気持ちで一杯である。
国際ロータリー第2760地区(愛知)の、西名古屋分区大会(2009年2月19日)で、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は『日本よ、つよき国となれ』をテーマに講演した。
「日本を取り巻く環境は厳しいが、現在の状況をコップの水に例えた場合、あと半分しかないと思わず、まだ半分もあると考えて国力とエネルギーがあるうちに水を一杯にする努力をしていただきたい。問題が山積しているが、何をすべきかという優先順位と根底にある問題を考え、対症療法ではなく根治治療することに集中していただきたい」と前置きし、世界の現状と米中間の連携強化の実態、日本への影響を説明した。
さらに、櫻井さんは「歴史を振り返ると、日本は誇りある国家であり、足跡を学ぶことによりエネルギーと勇気、英知を汲み上げ、これを現在と未来にいかしていくことが私たちの責任だと思います。ロータリンの皆さま方には会社のリーダーとしての責任自覚していただき、その自覚が実行されるときに日本は見事に再生し、国際社会をより幸せにしていくものと思います」と結び、
最後に、櫻井よしこ氏は、1920年代から1930年代の「日本、アメリカ、中国の歴史の事実」を知って欲しい。そのお勧めの一冊は、ジョン・マクマリー(1881~1960)が、1935年に書いたメモランダムを、米国海軍大学校教授、アーサーウオルドン教授加筆修正して、日本人、北岡伸一氏訳の「平和はいかにして失われたか」であると紹介した。このホームページ管理者も、歴史の事実を知るお勧めの書籍であると思う。
櫻井よしこ氏は「一般財団法人・国家基本問題研究所・理事長」
戦前、名古屋の花柳界は検番は13検あって芸妓も、3,000人ぐらいいたそうです。「盛栄連」「廓検番」「御園検番」「中検番」「中越検番」「辰巳検番」「千種検番」「睦連」「難波連」「城西連」「舎人町(中京連)」がありました。
調査をいたしましたが、すでに当時のひとはお見えになりませんので、確証はできませんが、このうちより「7連妓」が合併し、料理学校の跡地を購入し、名古屋芸妓株式会社として発足して芸妓は株を所有し、組合員として働き、組合費と歩合を払って維持をしていたようです。が、芸妓が自分の持株を他人に売るという問題がおきて、株は、会社が全部を買い上げて、芸妓は組合員として働いてきました。
当時の、木造の検番も古くなり、昭和42年に土地の半分を売って現在のビルを建設し、パーティーを開きお祝いを頂いたりで裕福な名古屋名妓連が続きました。現在からさかのぼって考えますと、従業員も大勢いましたが、給料だけでも大変であったそうです。しかし、従業員の人数が激変しビルの維持をすることができなくなりました。
平成12年11月にビルを売却して、新生名妓連として発足、ビルの買主さんのご好意により、お稽古専用の立派な舞台をそのまま、借用して現在にいたっている。芸妓の練習内容は「三味線」「唄」「鳴り物(太鼓、小鼓、笛)がある。
芸の方は、9月は名古屋おどりに参加」することと別に、昭和33年より名鉄ホールにて名妓おどりを39回まで開催した。その後は、料亭「河文」の女将の好意で春の「料亭・河文座」を名妓まつりとして(08年は5月26日・27日)に開催、また「料亭・松楓閣」では、春と年末に「名妓まつり」として出演している。
現在は、伝統芸能振興会の後援により20名の芸妓さんが頑張っている。 この名古屋尾張の伝統文化を残したいと思うのは芸妓さんたちだけであろうか?このホームパージ管理者のひとりである。
資料提供・名妓連 安藤かつ江
2008年12月以降のアメリカ経済後退の深刻化は避けることができず、戦後最悪の不況となる可能性がますます現実味を帯びてきた。アメリカにおける08年11月の雇用者数は、32万5000人を見込んでいた市場予測平均よりも大幅に悪化。失業率は1993年10月以来(6.8%)、約15年ぶりの高水準まで上昇した。
雇用者数の内訳は民間部門で54万人減、政府部門では7000人増、製造業、建設業など主要業種で軒並み不振となっている。このような34年ぶりの大幅雇用減を受けて、オバマ次期大統領は声明を発表し、「雇用増と経済再生への金融策を打ち出す時である」と述べた。はたして何によってアメリカ経済を浮上させると言うのであろうか。いずれにしろ2009年度は誰の目にも大混乱が鮮明となり、世界恐慌再来が見えてくる。
中国の地方政府が景気対策を競い合っている。金融危機の影響で経済が減速していく中、地方政府による投資計画の合計が30兆元(約400兆円)に迫る勢いである。2007年の中国総生産(GDP・約25兆元)を上回っている。大恐慌の波が世界に襲いかかる時、はたして世界で何が起きることになるか。
さて、多くのマスコミが「世界大恐慌」という言葉を使うことができない。それを使えば人々にパニックを越さしめるからである。それゆえにアメリカからスタートした金融恐慌という言葉が今もそのまま使用されている。
かって、1929年10月24日、アメリカ・ニューヨークで株価の大暴落が起きた。しかし、人々は数ヶ月、数年経って始めて世界大恐慌に気ずいたのである。当時のアメリカの失業者は全労働者の4分の1(25%)、1933年にルーズベルトが大統領に就任。彼は、ニューデール政策を実行に移し、アメリカを社会主義化のごとき政策を打ち出していったが、世界大恐慌に終止符を打つことができなかった・世界大恐慌に終止符を打ったのは何か。実は第二次世界大戦であった。
2008年9月15日、アメリカでリーマン・ブラザーズが65兆円の債務を抱えて崩壊した。多くの投資銀行や企業が倒産した。すべてのスタートがサブプラムローン問題であった。これは、リーマン・ブラザーズが倒産する1年前の、2007年8月21日にバブルを崩壊させていた。誰もその崩壊を 止めることができなかった。そして1年経って後に、リーマン・ブラザーズが崩壊したわけである。
世界人口はすでに68億人を突破した。 すなわち人々がある程度快適な生活をしてストレスをできるだけ抑えることのできる人口は35億人というと言われているのである。すでに世界人口は35億人の倍になっている。
最後に、広島に落とされた原爆は、朝の出勤時間、8時15分、ウランによってつ造られていた。 長崎の原爆は、昼の少しまえ、11時02分で、プルトニウムによって造られていた。
アメリカの歴史をたどると、戦後64年の間に常に定期的に戦争を繰り返している。朝鮮戦争、ベトナム戦争、今日に至ってはイラク戦争・・・・・その他、大小の戦争が常に繰り返されてきた。それは軍産複合体の願いであり、それがなければ経営することが出来ない・・・・・。まもなくアメリカとロシアの戦争が起きうる可能性があるし、アメリカ、あるいはイスラエルによるイランに対する攻撃も起きうるのである。
引用文献・株式会社リバティ情報研究所