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恵那・岩村城に信長の叔母が城主に・・・(鎌倉時代)

岐阜県恵那市の岩村城には戦国時代、女性が城主を努めた時期があった。NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主な舞台である遠州(現在の静岡県)とも連携し、美濃の「女城主の里」で観光客を呼び込もうとしている。名古屋駅から電車で90分。岐阜県第三セクター、明智鉄道の岩村駅から古い街並みを一キロあまり歩くと「岩村城跡」が見えてくる。織田信長の叔母「おつや」が16世紀後半に城主となったと伝わる城のあとだ。

岩村城は、鎌倉時代中期に築かれたと伝えられる山城、霧が城の別名もある。高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つとされる。武田信玄の家臣だった秋山虎影に攻められた際、病死した夫の城主、遠山景任の後を継いだのが織田信長の叔母「おつや」だった(諸説ある)。江戸時代は松平氏の居城となり、明治維新後、解体された。 近年、岩村城を含めた恵那市hねお観光客は374万人を超えた。(このホームぺの管理者は、若い時、某劇団の団員として岩村城の跡地で合宿をした。城の跡地にあった夫婦松は見事であった)

個別記事|Posted 2017.6.21|

台湾での「2・28」事件

70年前(1947年)、鬱積(うっせき)していた中国国民党政権への不満が各地で反政府活動として火を噴き、それを国民党政権は厳しく弾圧した。当時の緊迫した情勢を描いた1989年の映画「非情城一」で広く知られるようになった。

▼国民党による独裁体制の下にあって、事件は長らくタブーとされていた。いまも真相は十分に究明されたとはいえない面がある。たとえば犠牲者の数。当局は18,000人~28,000人とする推計を明らかにしたことがある。だが、実際には10万人におよんだとの声や、逆に、1万人に達していないという見方が出ている。

▼とりわけ解明が進んでいないのは当局の動きのようだ。先週(2017年2月20日の週)、蔡 英文総統は「被害者だけがいて加害者のいない現状は改めなくてはいけない」と述べ、かって「白色テロ」の追及に意欲を示した。関連する公文書の機密解除につとめる考えも明らかにした。過去と向き合い、人々の和解をめざす取り組み、と、いえようか。

▼いうまでもないが、歴史の検証はもとになる資料があってこそだ。当局が公文書を残していなければ、難しくなる。ひるがえって日本である。自衛隊の南スーダン派遣部隊の日報をめぐるドタバタ。大阪府豊中市の国有地の売却に関する交渉記録の破棄。歴史の検証に堪えようという気概は、霞が関から伝わってこない。 (2017年2月28日・日本経済新聞・春秋)

個別記事|Posted 2017.6.21|

元号 世相を映す(元号に基づく 漢字の2文字が原則)

元号は古代中国で、天子(王)が時間を支配するとされたことから成立した制度。皇帝や王が時間を支配することから成立した制度。皇帝や王が治世の最初の年を「元年」と定めて、そこから「何帝(または王)の何年」のように年を数えた。最初の元号は前漢の武帝が年号を建てて「建元」元年(西暦前140年)と定めたのが始まりとされる。元祖の中国は清朝を最後に元号を使っていない。「大化の改新」があった645年から用いられた「大化」の元号が日本最古とされる。これまでに247回の元号が使われた。日本では、同じ元号が2度使われたことはない。


天皇一代に元号は一つという「一世一元」の制度は明治時代から始まった。それ以前は天災や疫病が起こったり、おめでたい兆しが表れたときに、同じ天皇でも元号を改めることがあった。元号は古代中国の影響を大きく受けている。例えば、平成は「史記」五帝本記の「内平らかに外成る」、「書経」の「地平らかに天なる」との記述から文字が取られた。 「国の内外、天地ともに平和が達成される」という意味で、当時の世相を反映した元号となった。 1974年大平内閣で元号法が 制定された。わずか2つの項からなり、「元号は、政令で定める」「元号は、皇位継承があった場合に限り改める」とされている 。

平成の元号は①国民の理想としてふさわしいような、よい意味をもつもの②漢字2文字であること③書きやすいこと④読みやすいこと⑤これまでに元号または贈り名として用いられたものでないこと⑥俗用されているものでないこと・・・という6つの方針にのっとって選ばれた。

戦後、新憲法の施行に伴って旧皇室典範が廃止されて以来、元号は法律的根拠を失った。その後も国民は元号を変わりなく使ったが、法律上は「慣習として使っている」にすぎなかった。保守系団体が元号法制化の働きかけを強め、自民党が呼応した。元号により紀年法に法的根拠を与え、制定当時は「戦後史の一つの節目」との評価もあった。年の途中で改元すれば、元号を使う公文書やカレンダー、硬貨への表記に影響がでる。昭和から平成への移行では、硬貨に新元号を刻印する機械の準備に時間がかかり「昭和64年」も使用した。

政府は2019年1月から新たな元号を適用する案を検討。準備期間を設けて混乱を少なくするため、新元号を早ければ2018年前半にも公表することを探る。日本がめざす理念や国民の願望を漢字で表すとどうなるかを考えてみると、新元号に近づくかもしれない。これまでに元号に用いられた漢字は72文字で、予測のヒントになりうる。

247の元号のうち、4文字は5回、ほかはすべて2文字だった。最も多いのが「永」の29回、「元」「天」の27回、「遅」の21回、平成の「成」は新規で、「平」は12回目の登場だった。以前候補に挙がったものや、これまでに用いられた漢字の新たな組み合わせで新元号が決まる可能性もある。 【元号法第一項・元号は政令でさだめる。第二項・元号は皇位の継承があった場合に限り改める】(2017年1月22日・日本経済新聞から)

個別記事|Posted 2017.3.6|

【 障子を開けよ、外は広いぞ 】豊田佐吉の言葉(2017年は生誕150年)

中国最大の都市、上海、市街地を貫くように流れる黄浦江から西に10キロメートルほど移動すると、こじんまりした、れんが作りの建物が目に入る。周辺は集合住宅や庶民的な構えの飲食店が並ぶありふれた街並みだが、ここはおよそ1世紀ほど前に豊田佐吉氏が「豊田紡織廠」を構えた跡地だ。1918年、日本の紡織会社の間で中国進出が盛んになった。佐吉も進出を企てるが、周囲は慎重な姿勢を崩さない。

佐吉は、「(中国は)古い友人で、格別の人間関係をもたねばならない」と力説。そうしてこう諭した。【障子を開けてみろ、外は広いぞ】初めての海外事業は失敗のリスクも大きいが、佐吉は腹をくくる。上海郊外の旧フランス租界に邸宅を構え、まず個人事業として紡織工場の建設に熱中した。学生のころから目をかけた右腕の「西川秋次氏」も呼び寄せ、経営体制を整備。製造した綿糸布は中国に加えシンガポールなどにも輸出した。

佐吉は1930年に亡くなるが、西川氏が意志を継ぎ、1930年代半ばには上海工場は日本の工場を上回ってグループ最大規模になる。ここで出た利益は自動車事業の立上げにも役立ち、戦後も中国の紡織業復興に向けて、民間レベルで日中親善を実現してみせた。現在、トヨタ自動車は海外26カ国・地域で50以上の生産拠点を設け、トヨタ車の販売は170カ国・地域を超えている。

豊田綱領が掲げる「産業報国」は「進出した地域・町いちばんの企業になる」という言葉に置き換えられた。世界的に保護主義の色合いがじわりと濃くなるが、その真価が改めて問われようとしている。(2017年2月10日経新聞) このHP管理者は6年前に現地を訪問。中国政府によりこの記念館の取壊しが宣言されたと聞く。が、多くの民衆の声で現存している。

個別記事|Posted 2017.2.11|

ゴルフのロリー・マキロイが東京オリンピックに出場しない

世界のゴルフ界で有名選手「ロリー・マキロイ」選手が、東京五輪い参加しないと表明した。ジカ熱への感染を懸念してスター級がほとんど出なかったリオ五輪に続き、凡戦を見せられるのかとがっかりである。日本経済新聞に「個人の選択なので尊重してほしい」とコメントが来た。

日本の衛生状態はブラジルほど心配はいらないぞ!とブツブツ言っていたら、事情は全然違った。マキロイ選手は英国とアイルランドの二重国籍。リオ五輪ではアイルアランドから出ると決めたが、金メダル候補に逃げられた英国でかなり悪く言われたらしい。嫌気がさしてジカ熱を理由に出場を取りやめたというのが真相だ。

したがって、 五輪参加が国単位である限り出場する気はないそうだ。大会ごとに国籍を変える渡り鳥選手ならともかく、生まれつき二重国籍なのは彼の罪ではない。五輪憲章には「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書いてある。メダル競争に奔走する国が多いせいで、居場所を失う選手がいるのは残念だ。だから、二重国籍に目くじらを立てるべきでないと書くと、異論を唱える人が多いだろうが、二重国籍気嫌いの愛国者であればあるほど東京五輪が低調でよいとは言うまい。

ゴルフは特定国に有力選手が偏りがちで、世界ランク30位までに米国選手が12人も入っている。国別の参加枠を取り払い、個人参加にした方が絶対盛り上がる。(2017年1月16日・日本経済新聞「春秋」)

個別記事|Posted 2017.1.23|

オバマ大統領 広島での演説全文(2016.05.27)

このホームページ管理者は「2016.05.27.広島市平和記念公園でのアメリカのオバマ大統領が行った演説の格調の高さに感銘して掲載することにした。

演説骨子

  • 広島訪問は亡くなった日本人、朝鮮半島の人々、米国人捕虜を追悼するためだ
  • 科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破壊が訪れる
  • いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る
  • 恐怖の論理にとらわれず核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない
  • 広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう

【キノコ雲に人類の矛盾】
71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光(せんこう)と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した。我々はなぜここ広島を訪れるのか。それほど遠くない過去に解き放たれた。恐ろしい力について思いを致すためだ。亡くなった10万人を超える日本の男性、女性、子供たち、数千人の朝鮮半島出身の人々、そして捕虜になった十数人の米国人を追悼するためだ。
彼らの魂は我々に内面を見つめ、我々が何者であるか、これからどのようになっていくのかを考えるように語りかけている。
広島を際立たせているのは戦争という事実ではない。歴史的な遺物をみれば、暴力による争いが初期の人類からあったことが分かる。我々の初期の祖先は石から刃物を作り、木からヤリを作る方法を学んだ。こうした道具を狩りだけでなく、同じ人類に対しても用いるようになった。
世界の文明の歴史は穀物不足や黄金への欲望、民族主義や宗教的熱意といった理由で、戦争で満ちている。帝国は台頭し、衰退した。人々は支配されたり解放されたりしてきた。節目節目で苦しんできたのは罪の無い人々であり、数え切れない彼らの名前は時とともに忘れさられてきた。
広島と長崎で残虐な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強大な国の間で起きた。彼らの文明は世界に偉大な都市、素晴らしい芸術をもたらしてきた。思想家は正義と調和、真実という概念を発展させてきた。しかし戦争は初期の部族間であった支配や征服と同じような本能から生まれてきた。新たな能力が、支配欲や征服欲が争いを呼ぶという古くからの構造を増幅させた。
数年の間におよそ6千万人の命が奪われた。我々と変わらない男性や女性、子供たちが銃撃され、打たれ、連行され、爆弾に巻きこまれた。投獄されたり、飢えたり、ガス室に送りこ込まれたりした。
世界各地には勇敢で英雄的な行動を伝える記念碑や、言葉には言い表せないような邪悪な出来事を反映する墓や空っぽの収容所など、戦争を記録する場所が数多くが存在している。
しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、人類が持つ矛盾を強く思い起こさせる。我々を人類人類たらしめる思考、想像力、言語、道具を作る能力、我々を自然と区別し、自然を自らの意志に従わせる能力は、大きな破壊的な力も生み出した。

【広島は真実を告げている】
いかにして物質的な進歩や革新がこうした事実から目をくらましてきただろうか。崇高な理由のために暴力をどれだけたやすく正当化してきただろうか。
すべての偉大な宗教は愛や平和、正義への道を約束している。しかし、どの宗教も信条のもとで殺人が許されると主張する信者を抱えてきた。
国の台頭は人々の犠牲と協力を結びつける物語として語られてきたが、人類を抑圧し、人間性を奪う理由にも使われてきた。科学の力で、我々は海を越えて対話し、雲の上の空を飛び、病気を治し、宇宙の真理を知ることができるようになった。しかし同じ科学の発見が、効率的な殺人の機械を生み出すこともある。
近代の戦争や広島(での原爆被害)はこの真実を告げている。科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破壊が訪れる。原子核の分裂を可能にした科学の進化と同様、道徳の進化も求められている。
だから我々はこの場所を訪れる。広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いをはせる。目の前の光景に子どもたちが味わった恐怖を感じる。
声なき悲鳴に耳を傾ける。あのひどい戦争やそれまでの戦争、そして未来の戦争の罪なき犠牲者全員に思いを寄せる。
言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。

【恐怖の理論から逃れよ】
いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る。しかし1945年8月6日朝の記事は絶対に消えてはならない。この記憶によって我々は独りよがりではいられなくなる。道徳的な想像力がかき立てられ、変わることができるようになる。
そしてあの運命の日から、我々は希望ある選択をしてきた。日米は同盟だけでなく友情に鍛え、戦争で得られるよりもはるかに大きな利益を勝ち取った。
欧州の国々は連合体を築き、戦場を商業と民主主義の連帯(の地)に変えた。抑圧された人々や国々は自由を得た。国際社会は戦争を回避し、核兵器を制限、削減、ついには廃絶するための機構や条約を作った。
それでも、国家間の紛争やテロ、腐敗、残虐性、抑圧が世界中にあり、道のりが遠いことを思い知る。人間が悪を働く力をなくすことは難しく、国家や同盟は自分自身を守る手段を保持しなければならない。
しかし我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することはできないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。
新たな国や狂信者たちに恐ろしい兵器が拡散するのを止めることもできる。しかし、それだけでは十分ではない。世界をみれば、非常に原始的なライフル銃や樽(たる)爆弾がどれだけ大きな破壊力を持つか分かる。
我々は戦争そのものへの考え方を変えなければならない。外交の力で紛争を防ぎ、紛争が起きたら終わらせようと努力をすべきだ。国と国が相互依存関係を深めるのは、平和的な協力のためで、暴力的な競争のためではない。軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。
遺伝情報のせいで、同じ過ちを繰り返してしまうと考えるべきではない。我々は過去から学び、選択できる。過去の過ちとは異なる物語を子どもたちに語ることができる。我々は同じ人間であると伝え、戦争を今よりも起きにくくし、残虐さが簡単には受け入れられなくなるような物語だ。
我々はこうした物語を被爆者から学ぶ。原爆を落としたパイロットを許した(被爆者の)女性は、憎むべきはパイロット個人ではなく戦争そのものだと理解していた。日本で殺された米兵の家族を探し当てた(日本人)男性は、米国人も自分と同じように家族を亡くした喪失感を抱えていると感じた。

【我々が選びうる未来】
私の国の物語はシンプルな言葉で始まる。「すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている」
この理想を実現することは米国内の米国市民であっても、決して簡単なことではない。しかし、この物語を実現することは、努力に値する。それは努力して、世界中に広められるべき理想の物語だ。
我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な概念を語っていかなければならない。
我々は、その物語を語るために広島に来る。そして愛する人のことを考える。朝起きてすぐの子どもたちの笑顔、夫や妻とのテーブル越しの温かなふれあい、そして親からの温かな抱擁。
こうしたことに思いをはせ、そしてそんな素晴らしい瞬間が、71年前この広島にもあったことを知る。亡くなった人は、我々となんら変わらない人たちだった。
普通の人ならこうしたことが分かるだろう。彼らは、これ以上戦争が起きることは望まない。彼らは科学は、生命を奪うためでなく、生活をより良くするために使われるべきだと考えている。
国家や指導者がこうした単純な知恵を使って、(国の方向)を選択するならば、広島の教訓が生かされたことになる。
ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重なことか。それは守られるべきことで、世界中の子どもたちが同じように平和に過ごせるようになるべきだ。
それが我々が選びうる未来だ。そして、その未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう。
(2016年5月27日・17時30分頃~アメリカ・オバマ大統領の平和記念公園での演説全文・2016年5月28日・日本経済新聞の朝刊)

個別記事|Posted 2016.6.9|

沖縄県民の真実を伝えたい (我那覇真子 がなは・まさこ)

がなは・まさこ・平成元年沖縄県生まれ。平成24年(2012年)早稲田大学卒業。
2015年4月「琉球新聞・沖縄タイムスを正す会」(通称「正す会」)を設立・代表就任。

沖縄メデアの偏向報道に傓されて、近年盛り上がりを見せているのが”沖縄独立運動”です。沖縄はもともと琉球国だったのだから、本来・日本ではないという主張ですが、その根底にも【明治時代に武力によって琉球処分を行い、琉球国をつぶし悪党であり、沖縄は被害者である】という左翼勢力が創りあげてきた嘘があります。 また、左翼勢力は沖縄での基地反対運動の行き詰まりから闘争のテーマを沖縄独立シフトしているとも言われています。(辺野古には既に地元の要請で誘致された「キャンプ・シュワブ」という「米海兵隊の基地」があり、その一角を埋め立て、普天間飛行場を移設する計画)

これは明らかに本土と沖縄を分断し、尖閣を虎視眈々と狙っている中国を利する左翼勢力の新たな戦略であり、私たちとしても正しい情報を発信し、早期に運動の芽を潰さなくてはなりません。とはいえ、沖縄は歴史的にしても文化的にしても、ルーツは本土・日本にあることは明らかですし大多数の沖縄県人も当たり前のように日本人であると思っています。

そうでなければ、先の沖縄戦において祖国日本の防衛のために、多くの犠牲を払いつつも、あれほど勇敢に戦うことはなかったでしょう。私の親類も沖縄戦において、ひめゆりの学徒隊員の一員として17歳の若さで戦死しました。

沖縄のみならず、日本人全体が自分は何者なのかという確固とした生きる基軸、アイデンティティを失いつつあるようにも感じます。そこが定まれば偏向報道(琉球新聞・沖縄タイムズ)に惑わされることもないはずです。 自分のことよりも、国や大事な人たちの幸せのためにつくすという日本人が何千年と受け継いできた美徳や精神性・・・。それらを私たち沖縄の人たちも受け継いできたのであり、沖縄を左翼勢力や中国からの脅威から守り、次の世代に繋いでいこうという声なき多くの人たちが沖縄にいるのだということは、ぜひ本土の人たちには知ってもらいたい。

その真実を伝えるためにも、偏向報道に屈することなく、私はこれからも「正す会」(の活動に全力を傾けていきたい。 (致知・2016年3月号の一部から転載)

個別記事|Posted 2016.3.8|

宇宙にも広がるごみ問題  「宇宙飛行士 山崎直子」

2009年2月10日、人工衛星同士の衝突事故が起こった。運用中の米国の通信衛星と、運用が停止されたロシアの衛星が、秒速12キロで衝突し、10センチのデプリ(宇宙のゴミ)が千個近く発生したという。ライフル銃の弾丸の速度が秒速1キロ程度であることを考えると、相当な衝撃だ。

これまでに世界で打ち上げられた人口衛星の数は7千個以上。地上から観測されている10センチ以上の宇宙物体の数は、1万6千個以上あり、毎日のように1キロ以内のニアミスが起こっている。7年前の事故も、584メートルですれ違うと予想されていたものだ。

デプリの 分布密度が高まると、連鎖的に衝突が起こる。臨界点を超えると、デプリのため、人工衛星も人類も宇宙に出られなくなる可能性がある。国連では「スペースデプリ低減ガイドライン」を作成し、使い終わった人工衛星がこれ以上デプリにならないよう防止策を検討している。これまでデプリを国が負担すべきという意見もあれば、これから宇宙を利用する全ての国で解決していくべきだという意見もあり、強制力はないものの、まずは国際課題として認識されるようになった。

国や大学は長年研究している。そして民間企業も動き出した。切削工具メーカーのOSGがスポンサーとなり、宇宙ベンチャー企業のアストロスケールが宇宙のゴミをモニター・除去する衛星を開発中だ。 両社が2016年2月10日に東京で開催した「スペースデプリの日」で、山崎直子さんは、スペースシャトルに搭乗中に、窓ガラスに小さなデプリがあたり、ひびが入ったことを話した。(日経新聞「明日への話題」から)

個別記事|Posted 2016.2.19|

11月末から始まった一年で日が短い時期

あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ・・・。と気が急いているストンと夜になる(秋の夜は釣瓶落としみたい・・・)。師走の慌しさに輪をかけるものは、ひどく早い日暮れだろう。12月16日・東京の日没は16時28分。気ぜわしい時候だが、冬至を前に短日はピークを過ぎる。札幌は12月16日、東京は14日、福岡では16日からは日没が遅れ始める。日の出は正月にかけてなお遅くなるから冬至に昼間の時間が最短となる。しかしそれを待たずに「一陽来復」は日没に兆すわけである、。大晦日は、この記事の投稿記事12月6日より、9分も日が長い。(2015.12.06.日経新聞「春秋」を加工)

個別記事|Posted 2015.12.7|

「恋の季節はいつ?」  日本気象予報士協会元会長・石井和子氏

中緯度温帯地域にある日本では四季の巡りが美しい。地球が23.4度傾きながら太陽のの周りを回っているからこそ、この偶然の賜物である。私は時々学生たちに個人的にはどの季節が好きか、もし恋人とデートするならいつが好きか?と、たわいのない2つの質問をしてみる。

先日の結果は、冬が24%とやや多く、次いで夏と秋は大差がなく、春と答えた人は13%と一番少なかった。花粉症に悩まされるので春を辛い季節と書いた学生が多い。春の芽吹きや、夏の太陽のもとの海や山でのスポーツ、秋風や紅葉、さらには冬の朝のぴりっとした空気、夜空の美しさに若者なりの季節を実感していることが分かった。季節の変わり目が好きと答えた人も何人かいる。

さらにデートするにはどんな季節が良いかでは、冬が63%と圧倒的に多い。クリスマスやバレンタインをはじめ恋人向けの行事も多く、イルミネーションもロマンチックで、スキーにスケートにと、冬は一番人気の高い季節となっている。そしてここでも春は人気が少なく、夏とともに10%足らずであった。

15年ほど前に同じような質問を、赤坂見付駅で待ち合わせていた人達にしたことがあった。この時は春と秋とが半々で、春は「これから何かいいことがありそうで浮き浮きしてうれしい」秋は「人恋しくなるから」とのことであった。昔から春は恋の季節と言われてきた。平安時代、秋は厭きに通じて恋が余りうまく行かないと思われていたふしがり、不毛の季節でもある冬の恋も、源氏物語の匂宮と浮舟の場面ぐらいしか私には思いつかない。現代の恋人たちにとっては冬が恋の季節と言えそうだ。(2015.12.02.日本経済新聞「明日への話題」から)

個別記事|Posted 2015.12.4|

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