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四国八十八ヶ所巡り


今からおよそ1200年前、弘法大師(空海)が42歳の時に、人々の災難を除くために開いた霊場が「四国八十八か所」。後に高弟の真斎が遍歴したのが始まりと伝えられている。最初の寺となる「霊山寺」発願の寺、一番さんなどと呼ばれ、これを巡拝する私たちを温かく出迎え、「いってらっしゃい」とやさしく背中を押してくれる。

西暦815年、この地を訪れた弘法大師は、人間の持つ八十八の煩悩をなくすため、四国八十八の霊場を開こうと21日間の修業をしました。霊山寺の名前は、インドの霊鷲山(りょうしゅざん)から来ている。「天竺インドの霊山である霊鷲山を日本に移す」という意味で竺和山「霊山寺」と名づけられ、八十八ヶ所一番札所になった。

四国参りをされるお遍路さんは、出発の際に誓う「十善戒」がある。①生き物は殺しません②物は盗みません③淫らな男女関係をしません④嘘いつわりを言いません⑤たわごとを言いません⑥悪口を言いません⑦二枚舌は使いません⑧貧りません⑨怒りません⑩正しくない考えは起こしません。この十善戒を誓って、弘法大師の弟子となり巡拝する。

四国四県を巡る全工程は阿波(徳島)で脚を固め、土佐(高知)で心落ち着け、伊予(愛媛)で信に入り、讃岐(香川)で諸願成就し、高野山の奥の院参拝で大願成就し、最後に高野山奥の院参拝で大願成就するといわれる。
(徳島オカベの麺たよりから2020.03.15)

個別ページへ |Posted 2020.5.3|

裏千家の野尻玲子師を訪ねた。


1973年。大学を卒業後、家を継ぐこともできず、ローマへ逃亡した。ローマの芸術大学彫刻家に入学。海外に身をおくことは、その土地を肌で感じ、同時に己自身をしることだ。強い太陽のした、光と影に分断される石作りの街並み。快楽的でしかも理屈っぽい彼らの気質。何もかもが私とは違っている。

裏千家のローマ出張所を主宰する野尻玲子師を訪ねた。彼女は伝道者だ。ローマでこつこつ茶の湯を広めた。稽古場に日本人は一人もいない。建築家や前衛の音楽家、バチカンの神父。欧州各地から彼女の元に集まった人たちは、日本人のように単に行儀作法を学ぶわけではない。彼らは自らの人生の中で茶の湯と出会った。いかに生きるかを己に問い、茶から何かをくみ取ろうとしていた。

音楽家は言う。「茶の湯は楽譜のない音楽だ。ほら、聞いてみろ。全てが最も新しい我々の音楽だ」こうも言った。「茶は静かなバロックだ。湯の沸く音は通奏低温。茶をたてる茶筅の音、衣擦れの音、全てが美しく流れている」と。建築家は語った。「光と闇、物と空間の簡素さ。全ての関係が完璧に美しい」。余白の美を見たのだろうか。

神父は神と人と物との関係に西洋と異なる世界観を見いだした。「日本人は単なる物に接する時も、神に接するが如く最大の敬意を払う。その心のありようはどこから来るのだろうか」。彼らにとって茶は音楽であり哲学であり、何よりの人生なのだ」

私は目から鱗が落ちた。生まれて初めてローマで茶の湯の稽古を始めた。稽古は一時間ほどの座禅から始まる。初歩の所作からイタリア語で習った。「お先に頂戴します」この言葉が日本では口にできない。上滑りの虚言だと反発した。だが、日本かの社会から切り離されたイタリア語なら素直に言えた。

私は、まさに西欧の眼差しを通して、自分自身の日本的なものに目覚めていった。この小さな島国に暮らす日本人は井の中の蛙。己のことすら知らずに暮らしている。彼女はこの文章を書いている私の日本文化への導師である。師は私に様々な日本文化との縁を導き、様々な人と出会わせてくれた。(陶芸家、十五代・楽吉右衛門・楽 直入(らく じきにゅう))

個別ページへ |Posted 2020.4.2|

三浦綾子「細川ガラシャ夫人」


戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

発掘調査では茶釜、茶壺、茶入といった茶道具のほか、中国の景徳鎮窯産と思われる輸入磁器も出土した。その一部を展示室で見ることができる。藤孝と光秀は織田信長に仕えた盟友であり、忠興と玉子の婚姻も信長のメイだった。玉子は2年間に2人の子供が生まれたので幸せな新婚生活を送ったとされる。この書で描かれる玉子は女性の生き方や信長の治世のあり方に疑問を抱くような知的な女性で、忠興はそんな玉子を溺愛する。

1582年の本能寺の変で信長を倒した光秀は、山崎合戦で羽柴秀吉に敗れ、この城で最期の夜を過ごした。この後、玉子は様々な苦難に遭い、キリシタンの道を選ぶ。公園の南西の土塁に登ると、遠くに天王山が見える。この土塁の上に天守があったと思われる。玉子が天守から見た眺めはもっと美しかっただろう(2020.2.22.日経新聞・兼吉毅筆から)
(みうら・あやこ(1922~99)北海道旭川市生まれ)

個別ページへ |Posted 2020.2.23|

ひつまぶし起源は「器保護」


少々値段は張るものの、たまの贅沢や観光の思い出にぴたりなのが名古屋の名物料理の中でも特別な存在といえる「ひつまぶし」。うな丼や、うな重とひと味違う、中部圏独特のうなぎの楽しみ方だ。しゃもじで十字に4分割し、薬味とだしで味の変化を堪能するのがプロのおすすめ。明治6年(1983年)創業の「あつた蓬莱軒本店」(名古屋市熱田区)。残暑の厳しい9月中旬、扇風機と大うちわで備長炭を真っ赤に燃やし、職人がタレにくぐらせたうなぎを焼いていた。

うなぎは包丁で細かく刻み、器に盛った白飯の上に。湯気をふたで閉じ込めれば、名物の「ひつまぶし」ができあがる。誕生の経緯には諸説ある。発祥店とされる蓬莱軒本店の5代目女将、鈴木詔子さんは「明治時代の中ごろに原型が生まれた」と話す。当時は商人や芸妓さんたちの出前が多かったが、丼が瀬戸物のため回収時に器同士がぶつかってよく割れた。そこで、いまの「器」になった。

食べ方のおすすめは、しゃもじで十字に切り込みを入れて4回に分けて茶碗に盛る食べ方。一杯目はそのまま、二杯目は、ワサビやネギなどの薬味でさっぱりと、三杯目はカツオの効いただしをかけてお茶漬けにする。最後の四杯目は、お気に入りの食べ方でどうぞ」と女将が語る。だしをかける食べ方は「お酒のシメに」という客の提案がきっかけで始めたそうだ。2019年5月に発行された「ミシュランガイド愛知・三重特別版」には、「あつた蓬莱軒」のほか「いば昇」「うな富士」など21店舗が掲載された。(2019.10.25日経新聞)

個別ページへ |Posted 2019.11.1|

トキ(朱鷺)10羽・27年ぶりに空へ


2008年9月25日、自然界で姿を消した「トキ」を野生復帰させるため、環境省は「佐渡トキ保護センター」(新潟県佐渡市)で飼育した10羽を試験放鳥した。薄物色の羽を広げ27年ぶりに空を舞う姿に市民らは歓声を上げた。トキは乱獲や生息環境の悪化により激減。野生で残る五羽を保護したが、最後の一羽が2003年に死に野生種は絶滅した。

中国から1999年に提供されたつがいで人口繁殖させて再び自然界での繁殖を目指した。2012年には放鳥トキのペアから初のヒナが誕生した。地元はトキがエサとするドジョウや昆虫を確保しやすくするため、冬でも田んぼに水を張ったり、農薬を減らしたりする取り組みを続けた。個体数は順調に増え、環境省は2019年1月に絶滅危惧種などwp分類するレッドリストで「野生絶滅」から、一ランク低い指定に変えた。野生のトキは2019年9月3日時点で、405羽となった。(2019.09.25・日経新聞)

個別ページへ |Posted 2019.9.25|

「かしこまりました」という言葉

タクシーに乗ったとき、運転手さんに行き先を告げると、よく返ってくるのが「かしこまりました」という返事だ。以前なら「わかりました」だったり「承知しました」が多かったように思うのだが、車内で道順を伝えるたびに、そのつど「かしこまりました」と繰り返される。とても丁寧で、感じもよく、それはそれで悪いことはないのだが、言う側としては少し練習が必要だろうし、私などは舌を噛みそうになる言葉である。

おそらく接客マニュアルの基本になっているのだろう。美容院やデパートなどでも、この「かしこまりました」が最近やたらとつかわれるようになった気がする。一方で、同じレベルの丁寧さでも、めっきり使われなくなった言葉もある。

少し前に、銀座の某デパートからの帰り際、駐車場まで向かおと裏口か出る私を、たまたま歩いていた見知らぬ少年が、ドアーを開けたままで待っていてくれたことがあった。小学校の高学年ぐらいの少年ながら、なんと親切なのかと、私はとても嬉しくなって「どうもありがとう」と礼を言った。すると彼はニコッと可愛い笑顔になって、なんと「どういたしまして」と答えてくれたのである。

少年の口からでたのが、思いがけなく美しい日本語で、近年あまり聞かなくなっていた言葉だけに、彼の笑顔とともにいまも強烈に残っている。殺伐としたニュースが多いこのごろ、心が温かくなるようなこの「どういたしまして」も、接客マニュアルで使ってくれないかな・・・と、ひそかに願っている。(2019.09.04.日経・作家・寺田真音)

個別ページへ |Posted 2019.9.10|

イチロー引退の日 (メジャーリーグ・丹羽政善)


とっさの判断だった。フィールドに流れこもうとしたカメラマンらを体を張って制した。その意味を理解したのか、それにあらがう人もいなかった。2019年4月30日、再びマリナーズの会長付特別補佐に就任し、外野守備、走塁、打撃のインストラクターとして指導者の道を歩み始めたイチロー。3月21日の流れについて、J・スタンド会長は「決まっていたことと、そうではなかったことがある」と振り返った。

試合後、ファンが球場を離れず、イチローの名前を呼び続けたのは、後者だった。 米メディア向けの会見を終え、通訳からそのそれを伝えられたイチローは、K・グリフィー・ジュニアからも「早く行ってやれ」と促された。三塁側のダッグアウトから飛び出したときの歓声は地鳴りを伴い、イチローが場内一周を始めると、悲鳴にも近い声も漏れた。三塁側からファオルラインを越えないよう、身をていして止めた。結果的にイチローはフィールドにたった一人となった。イチローとファンのの間には広い空間が生まれた。

【劇的な別れ 粋な計らい】
4月半ばのこと、今年から名前が「モバイル・パーク」と変わったマリナーズの本拠地にあるメディアダイニングにいると、たまたまその男性がいた。「日本にいましたよね!」と聞くと「あぁ、いたよ」 「最後、フィールドに入ろうとする人たちを止めていましたよね?」「あぁ、あれは私だ」名前をビクターさんという。あのとき大リーグ機構から派遣され、セキュリティを担当していた。

なぜあのとき、止めたのか?その質問にビクターさんはこう答えた。
「場内を一周しているとき、カメラマンに囲まれて、イチローの姿がよく見えなった。イチローにもファンにもスペースが必要だと思った。互いにはっきり、姿が見えるように」ではは、なぜ、そう考えたか?の質問に「イチローに対する敬意とファンへの思い」そんな配慮が最後、あの劇的な別れを演出した。粋な計らいだった。(2019.05.15.日経新聞)

個別ページへ |Posted 2019.5.20|

世界経済は明るさが消えつつある?(法則)

その要素の一つがイギリスのEU離脱問題です。国民投票でEU離脱を決めた以降を眺めていると、「どうした?イギリス」と言いたくなります。イギリスといえば、産業革命発祥の地で、七つの海を支配すると言われた大英帝国を築き、議会制民主主義の本家、明治以降の日本にとっても先生と言える国の一つです。

その後、世界の覇権がアメリカに移ったとはいえ、アメリカ第一位の同盟国であり、金融やインテリジェンスの世界では未だに他の追随を許さないほどの国です。それが、今や混乱状態に陥っています。文明研究家・村山節(むらやま・みさお:1911年~2002年)氏は、東西の文明は800年周期で入れ替わる(勃興~成熟~崩壊~衰退~次の勃興に800年)という文明法則学を唱えられました。

同法則史によると、西洋文明が崩壊し、東洋文明の勃興と交差するのが西暦2000年頃です。ずいぶん前に同紙を読んだ時、「まさか」と思いましたが、今のイギリスの混乱は同法則に従っているのでしょうか。そうだと仮定すると、今の混乱は崩壊の始まりかも知れません。(ソノックジャパン2019.03)

個別ページへ |Posted 2019.3.5|

新婚の頃  元警視総監 池田 克彦

新婚の頃は本当にお金がなかった。出張の費用を一時立て替えるお金がなかった時もあったほどだ。唯一の娯楽は、土曜の夜に、妻と一緒に近くの名画座に行き、かつての名作映画をみることだった。ただ、これがその後の仕事に結構役たった。例えば、「シエーンという西武劇の古典がある。私以上の年代であれば、観ていないまでも名前くらいは知っている。

そこで、講習などでこんな話をする。「シエーンというのはアイルランド系の名前です。つまり、彼はアイルランド移民なんです。アイルランド移民は遅れてやってきた移民で、なかなかいい仕事には就けませんでした。だから、彼は流れものの牧童とガンマンをやっていたわけです。こういう前提がわかれば映画は一段と面白くなるでしょう。捜査情報でも公安情報でも、情報を額面通り受け取るだけでなく、その裏を読み取ることが大切です」

また、給料が安いわりに残業が多かった。一人でまっている妻も辛いだろう。そこで、夜遅く帰る時は、途中のコンビニでチョコレートやキャンデイをお土産として買っていた。200円か300円ぐらいのものだが、妻は大変喜んでくれた。そこで、私はプレゼント三原則を知った。①プレゼントは無条件にうれしい。②プレゼントに金額は関係ない。③プレゼントは実用的なものだと外れがない。

先日、結婚して遠方に住む娘が。父の日のプレゼントとして下着を2枚送ってきてくれた。とてもうれしかったが、そのとき気づいた。娘もプレゼント三原則を知っていることを。確かに、子供は親の背中を見て育つのかもしれない。(日本経済新聞/明日への話題2018.09.26)

個別ページへ |Posted 2018.10.8|

夏太りを招く意外な理由とは?

理由1:夏は「糖質が多い」食事が多くなる
夏になると、そうめんや冷やし中華などの冷たい麺類や、アイスやかき氷など食べてしまいませんか?夏についつい食べてしまうこれらの「食べ物」は、太る原因となる「糖質」がたっぷり。こうした夏特有の「糖質の多い食生活」が「太り」を招くのです。そうめん一束の糖質量・35g、めんつゆ(100g)糖質9g。この糖質量は角砂糖14.6個分です。

理由2:夏は運動量が減る
夏は暑く、熱中症の心配もあるため、ウオーキングなど、屋外での運動を避けてしまいがちです。普段は通勤などで歩く習慣がある人も、汗や日焼けなどが気になるため、車やバスでの移動に変えてしまうことも多いのではないでしょうか?こうして運動が減ると、エネルギーの消費量も減ります。同じ量を食べてもエネルギーが減るので、夏太りしてしまうのです。
(シックスセンスラボ(株)のマガジンから)

個別ページへ |Posted 2018.7.12|