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話の広場

裏千家の野尻玲子師を訪ねた。


1973年。大学を卒業後、家を継ぐこともできず、ローマへ逃亡した。ローマの芸術大学彫刻家に入学。海外に身をおくことは、その土地を肌で感じ、同時に己自身をしることだ。強い太陽のした、光と影に分断される石作りの街並み。快楽的でしかも理屈っぽい彼らの気質。何もかもが私とは違っている。

裏千家のローマ出張所を主宰する野尻玲子師を訪ねた。彼女は伝道者だ。ローマでこつこつ茶の湯を広めた。稽古場に日本人は一人もいない。建築家や前衛の音楽家、バチカンの神父。欧州各地から彼女の元に集まった人たちは、日本人のように単に行儀作法を学ぶわけではない。彼らは自らの人生の中で茶の湯と出会った。いかに生きるかを己に問い、茶から何かをくみ取ろうとしていた。

音楽家は言う。「茶の湯は楽譜のない音楽だ。ほら、聞いてみろ。全てが最も新しい我々の音楽だ」こうも言った。「茶は静かなバロックだ。湯の沸く音は通奏低温。茶をたてる茶筅の音、衣擦れの音、全てが美しく流れている」と。建築家は語った。「光と闇、物と空間の簡素さ。全ての関係が完璧に美しい」。余白の美を見たのだろうか。

神父は神と人と物との関係に西洋と異なる世界観を見いだした。「日本人は単なる物に接する時も、神に接するが如く最大の敬意を払う。その心のありようはどこから来るのだろうか」。彼らにとって茶は音楽であり哲学であり、何よりの人生なのだ」

私は目から鱗が落ちた。生まれて初めてローマで茶の湯の稽古を始めた。稽古は一時間ほどの座禅から始まる。初歩の所作からイタリア語で習った。「お先に頂戴します」この言葉が日本では口にできない。上滑りの虚言だと反発した。だが、日本かの社会から切り離されたイタリア語なら素直に言えた。

私は、まさに西欧の眼差しを通して、自分自身の日本的なものに目覚めていった。この小さな島国に暮らす日本人は井の中の蛙。己のことすら知らずに暮らしている。彼女はこの文章を書いている私の日本文化への導師である。師は私に様々な日本文化との縁を導き、様々な人と出会わせてくれた。(陶芸家、十五代・楽吉右衛門・楽 直入(らく じきにゅう))

|Posted 2020.4.2|