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三浦綾子「細川ガラシャ夫人」


戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

発掘調査では茶釜、茶壺、茶入といった茶道具のほか、中国の景徳鎮窯産と思われる輸入磁器も出土した。その一部を展示室で見ることができる。藤孝と光秀は織田信長に仕えた盟友であり、忠興と玉子の婚姻も信長のメイだった。玉子は2年間に2人の子供が生まれたので幸せな新婚生活を送ったとされる。この書で描かれる玉子は女性の生き方や信長の治世のあり方に疑問を抱くような知的な女性で、忠興はそんな玉子を溺愛する。

1582年の本能寺の変で信長を倒した光秀は、山崎合戦で羽柴秀吉に敗れ、この城で最期の夜を過ごした。この後、玉子は様々な苦難に遭い、キリシタンの道を選ぶ。公園の南西の土塁に登ると、遠くに天王山が見える。この土塁の上に天守があったと思われる。玉子が天守から見た眺めはもっと美しかっただろう(2020.2.22.日経新聞・兼吉毅筆から)
(みうら・あやこ(1922~99)北海道旭川市生まれ)

 |Posted 2020.2.23|