話の広場
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誰もが前を向ける年に

少し前のことである。混んだ地下鉄の中で、目の前に座るお母さんと小さな男の子の会話が聞こえてきた。遊園地に行った帰りらしい。「大きくなったら、あのアトラクションに乗ろうね。いまは背が足りないもんね。リベンジだね」。

▼お母さんの慰めに、男の子は涙声で応じた。「大きくなったときに乗りたいのは、あれじゃないんだよ」。さぞ悔しかったろう。仕事柄、リベンジ(報復)という言葉に鼻をつまむことの多い身も、このときはお母さんに共感の一票を入れた。「次こそ、きっと」ですね。

▼思えばわが国の少子化対策も、同じつぶやきを繰り返して今日まで来た。生まれる子供の数は年々減り続けている。負の流れが続けば、電車で聞いた親子の語らいもまれな光景になりかねない。この4月からは「次元の異なる」対策が本格化する。

▼子を産み育てることを選ばぬ人も、ためらう人もいる。何が社会に足りないか。経済的支援。働きながら育てる環境の整備。いま手を打たねば流れを変えられないことは誰もが知っている。必要なのは社会全体で負担を分かち合う覚悟なのだろう。

▼詩人のまど・みちおさんに『さくら』という一編がある。<まいねんの ことだけれど/また おもう/いちどでも いい/ほめてあげられたらなあ…と/さくらの ことばで/さくらに そのまんかいを…>。花と語り合う言葉を持てたなら、どれほど素敵(すてき)だろう―と。

▼涙声の男の子は幼いなりに背伸びをして生きようとしていた。詩人が桜に思いを寄せたように、子供たちと、子を持ちたいと願う人たちと通じ合う言葉を一人一人が持てたならと思う。次こそ、きっと。令和6年が、誰もが前を向ける「リベンジ元年」になるといい。
(2024年1月1日・産経抄)

 |Posted 2024.1.2|