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台湾有事のリアリティ(電気新聞ウエーブ・時評から:2021.06.18)


■最初にこのホームページ管理者は、日本の大きなメディアは報道されないことが多すぎる気がすると感じている。2021年6月18日の電気新聞に小川和久(おがわ・かずひさ)氏=少年自衛官が投稿した「台湾有事のリアリティ」の内容を載せることにした。静岡県立大学特任教授、国家安全保障に関する鑑定機能強化会議議員74歳■

中国の軍事力増強を前に、日本国民の間で台湾有事への危機感が高まっている。今回はリアリティの面から台湾有事をを考えてみたい。一般的に思い浮かべるのは、ある日、中国の大軍が陸海空から台湾に襲いかかり、占領してしまう図である。そうした想像をかき立て、威嚇するために、中国側も武力統一の意思を隠していない。しかし、そのパターンでは武力統一は成り立たない。

台湾軍の反撃、米軍の来援をはねのけて台湾に上陸し、占領するためには、中国側はおよそ1,000万人陸軍を投入しなければならない。米台軍の反撃で半数は海の藻くずとなるからだ。大規模な上陸作戦を行う場合、私が習った定員13,000人、車両3,000両の旧ソ連軍の自動車化狙撃師団(機械化狙撃師団)の場合、一週間の燃料、弾薬、食料とともに海上輸送するには、一個師団だけで50万トンの船腹量が必要というのは、今日でも世界各国に共通する試算表である。100万人だと5,000万トンが必要となる。

中国式に詰め込んだとしても、3,000万トン以上は必要だろう。そんな海上輸送力は中国にはない。米国国防総省の年次報告書も、海兵隊を使った中国の強襲上陸能力は約一万人としている。しかも、中国は台湾海峡上空で航空優勢(制空権)をとる航空戦力も十分ではない。そうなると、リアリティを持つのは台湾国内に騒乱状態を引き起こし、それに乗じてかいらい政権を樹立する方法だが、その一つ福建省に1,600基以上展開する短距離弾道ミサイルなどによって台湾の政治、経済、軍事の重要目標を攻撃し、その混乱に乗じるパターンは米国との全面戦争の危機が大きく、中国が採用するとは思われない。

残る選択肢はハイブリッド作戦である。2014年のクリミヤ半島では所属不明の武装集団が士気の低いウクライナ軍を駆逐し、ロシア寄りの住民の支持の下、ロシア併合が無血で実現された。ハイブリッド作戦は、軍事力を含む「何でもあり」の戦法で、人民解放軍の喬良、王湖穂両大佐が1999年に出版した『超減戦』に起源を持つとされる、政治、経済、宗教、心理、文化、思想などの社会を構成する全ての要素を兵器化する考えである。


中国はこれを2003年、輿論戦、法律戦、心理戦の三戦として『人民解放軍政治工作条例』に採用した。「砲煙の上がらない戦争」の別名通り、超限戦と古代中国の戦略の書『孫子』を融合し、戦火を交えず勝利しようとする高等戦術である。米軍は2008年にハイブリッド脅威と位置づけた。このように、台湾や日本の尖閣諸島などはハイブリッド戦や三戦の渦中にあると考えてよい。それを抑止するには、次の手だてを着実に実行するほかにない。

まず、ハイブリッド戦と思われるあらゆる兆候について台湾は米国と日本に通報するシステムを構築する。次いで、日米両国は「台湾有事は日本有事となる」との認識を明らかにし、台湾からの通報があり次第、国境付近に軍事力を展開する体制を整える。そして、日米台の連携を世界に公表するのである。これによって、中国にハイブリッド戦をためらわせる抑止効果は一気に高まる。中国の抗議にたじろいてはならない。

個別ページへ |Posted 2021.6.19|

「渋沢栄一 翁」の合本主義


NHKの大河ドラマで「青天を衝け」が放映されている。その一万札の肖像画に「渋沢栄一翁」起用されてブームになっている。その背景には今の資本主義のあり方が問われており、そのあるべき姿として「日本資本主義の父」と言われた渋沢栄一の考え方に注目が集まっている。

渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれているのは、日本で最初の銀行「第一国立銀行(現(みずほ銀行)の設立を皮切りに、東京海上保険会社(現東京海上日動)、東京瓦斯会社(現東京瓦斯)、現在の王子製紙といったそうそうたる企業の設立に関わり、また、東京株式取引所(現東京証券取引所)東京手形交換所、商法講習所(現一橋大学)そして、日本女子大学校(現日本女子大学)といった日本経済を支える組織の設立にも関与した。渋沢栄一が生涯で関係した企業数は500社、社会公共事業の数も600にのぼると言われている。

渋沢栄一は「資本主義」という言葉をつかわず「合本主義」という言葉を使った。」「合本主義」とは、公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も人材と資本を集めて事業を推進させるという考え方。資本主義の場合、事業を行う原動力は資本家の「もっとお金を儲けたい」「お金持ちになりたい」という個人的欲望。しかし合本主義では、そういったそうした個人的欲望は事業の推進力といして必要としつつ、同時に、その結果として「国や社会が豊かになる」「人々が幸せになる」という目的が達成されなければならぬとい考えた。

そのために、一部の人に富が集中するのではなく、「皆でヒト、モノ、カネ知恵を持ち寄って事業を行い、その成果を皆で分かち合い、皆で豊かになる」ことが大切と説きました。「右手に算盤、左手に論語」という言葉で有名な渋沢栄一の著書「論語と算盤」では、こうした合本主義の考え方を述べている。この本が出版されたのは1916年当時のの日本は大正デモクラシーの中で経済はバブル化し、資本主義や格差拡大が進んでいた。こうした状況に渋沢栄一は警鐘をならした。(2021.05MFレポートより)

 

 

 

個別ページへ |Posted 2021.6.8|

台湾の独立運動の原点「二・二八事件」とは 

今回テーマになっている事件は台湾史に残る大虐殺ですが、中国国民党による戒厳令時代には、この事件の名前を口にすることすら許されませんでした。国際政治学者の林建良氏もこの事件について初めて知ったのは、研修医として東京大学に来ていたときのこと…。だそうです。2月28日は台湾では「平和記念日」と呼ばれる祝日の日です。

73年前のこの日、台湾では「二・二八事件」と呼ばれる非常に残虐な事件が起こっていた。「二・二八事件」とは、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、蔣介石率いる中国国民党が台湾市民を弾圧・虐殺した事件です。当時人口600万人の台湾で、この事件の死者は3万人にも上ると言われています。ただ、実際被害にあった人の数は、当時の政府の圧力のせいで正確な数字は分かっていません。きっかけとなったのは、ある台湾人の女性が闇タバコを販売していたところを中国国民党の警察が摘発したこと。当時の台湾では、タバコは中華民国政府の専売品。一市民が許可なく販売することは許されていませんでした。

しかし、その女性が売っていた闇タバコのもとを辿ると、中国の高官が台湾人に無理やり売らせていたものだったのです。にも関わらず、その女性の摘発に当たった中国人はタバコの売上だけでなく彼女の全財産を没収。その場に居合わせた台湾人の市民は激怒したところ、警察は銃を発砲しながら逃走。その弾が、何の罪もない一人の台湾市民に当たってしまった。それをきっかけに台湾人と中国国民党の間で大衝突になりました。闇タバコを売った女性が原因ではない「二・二八事件」の本当の原因はもちろん、上に述べた自ら闇タバコを売らせておいて、それを摘発するというのも非常に汚い中国国民党ならではのやり口です。

「根本的な原因は、そのことではないんです。」とおっしゃいます。その理由は、蒋介石たちが乗り込んでくる前の台湾国内の様子を振り返ると見えてきます…というのも、台湾は戦時中も非常に豊かで、実に2年分の食料の備蓄があったと言われています。しかも、日本の敗戦以降、蔣介石が来るまでの2ヶ月間は無政府状態の台湾でしたが、日本統治時代のような平和と秩序がそこにはあったと言われています。

ところが蔣介石が台湾に乗り込んでから、外省人による略奪・暴行が多発し、潤っていた台湾もたった1ヶ月で大飢饉に陥ったのです。つまり「二・二八事件」とは、これまでの外省人に対する台湾の怒りが積もり積もって爆発した結果だったのです。「二・二八事件」が勃発した当初、台湾の行政長官は、市民に対して融和な姿勢で対話していました。しかし、二枚舌もいいところに、すぐに当時中国本土にいた蔣介石に電報を打ち、「台湾に軍を派遣するように」と連絡したのです。

1週間後、国民党軍は、台湾人を無差別に虐殺し、その被害者は一ヶ月で三万人とも言われています。その時、国民党軍に一番の標的にされたのは、台湾人エリート層でした。理由は、当時の台湾人エリート層は敗戦前の日本によって教育された集団。戦争中、日本軍に負け続けていた中国にとって、日本的な要素を持つ集団は一掃してしまいたかったのです。そういう理由で、「日本的な台湾人」は非常に残虐なやり口で処刑されてしまいました。未だに遺骨が見つからないエリート達がいます。

日本では全く報道されていない「二・二八事件」ですが、日本政府はこの事件を一切言及していません。台湾への見舞いや励ましのメッセージを、戦後70数年年たった今も発したことはありません。しかし、この事件が起こったのは1947年のこと。当時の台湾の主権を握っていたのは、台湾でも中国でもアメリカでもありません。1952年のサンフランシスコ講和条約締結まで、台湾は、日本主権の領土でした。つまり「二・二八事件」で虐殺さえた3万人もの知識人は、文化的にも法律的にも日本人でした。

筆者は、このことが日本では知られていないことを憂慮されている。しかし、日本のこの事件に対する無関心をきっかけに、台湾は「自分で自立しないといけない」という覚悟を持つようになったと言われています。そして、「二・二八事件」は台湾にとって独立と建国を進める原点になったと、おっしゃいます。(国際政治学者の林建良氏の「TAIWAN VOICE」から)

個別ページへ |Posted 2021.3.1|

2024年上期に 一万円札の新札は「渋沢栄一」

2021年に没後90年を迎えNHKドラマや新札発行を前に改めてその足跡が注目される。格差の憤(いきどうり)り渋沢栄一(1840ー1931)500社近い企業創設に携わり、近代日本産業の父として米国などでも研究されている。私益と公益の調和を唱えた『道徳経済合一説『合本主義』など、幕末は尊王攘夷思想に身を投じながら、維新後にに近代化をけん引した渋沢栄一渋沢の生き方の理念は今に通じるものも多い。

ゆかりの企業や識者らへの取材を通してそれをひもとき、新型ウイルスとの戦いの中で改めて問われる持続可能な社会実現への道標を考えることが必要。
2024年の新札・10,000円⇒渋沢栄一・5,000円札⇒津田梅子・1,000円札⇒北里柴三郎

『いまなお原点:渋沢翁の教え』
日本を代表する実業家、渋沢栄一翁。その一例は清水建設(当時は清水屋)との間に、脈々とつながる縁がある。1871年、清水建設の二代目喜助が第一銀行(当時:三井組ハウス)の建築を請け負っている。現在も、渋沢栄一が関わった企業が多い。

その一例は、『IHI』『帝国ホテル』『NIKKEI』『SAPPORO』『東亜建設工業』『北原美顔』『澁澤倉庫株式会社』『東京会館』『平和不動産』『清水建設』『東京製綱』『MIZUHO』『十六銀行』『二本末學舎大学』『清和綜合建物』『ニッピ』

渋沢栄一が「帝国ホテル」に残した言葉『色々の風俗習慣の、色々の国のお客様を送迎することは、大変ご苦労なことでる。骨の折れる仕事である。然乍(しかしなが)ら君たちが丁寧に能(よ)くして呉れれば、世界中から集まり世界の隅々に帰って行く人達に、日本を忘れず帰らせ、一生日本をなつかしく思いださせることが出来る、国家の為にも非常に大切な仕事である。精進してやってくださいよ」(2021.02.10日経新聞から)

個別ページへ |Posted 2021.2.12|

アメリカ大統領就任式・豆知識


第46代・米大統領の就任式では、宣誓時に聖書を用いるのが慣例だ。歴代大統領は右手を上げつつ左手を聖書に置き、「神に誓って(So help me God)」と宣誓する。米メディアによると、バイデン大統領はバイデン家で引き継がれてきた聖書を宣誓に用いた。2009年の副大統領就任時にも同じ聖書を使った。トランプ前大統領は17年の宣誓時に、リンカーン大統領が19世紀に使った聖書などを用いた。

宣誓時に聖書を用いる慣例は初代大統領のジョージ・ワシントンから始まったという。過去には例外もあり、米紙ニューヨークタイムズによると、マッキンリー大統領の暗殺により副大統領から昇格したセオドア・ルーズベルト大統領は聖書を用いずに宣誓した。2021年1月20日という就任式の日程は時代を経て変遷してきた。ジョージ・ワシントン初代大統領の就任日は1789年4月30日だった。

その後議会が就任式を3月4日に定めた。前年の11月上旬大統領選から就任式まで4カ月程度期間を空けることで集票作業など各種準備や首都への移動時間を確保する目的が背景にあった。その後は技術発展に伴い、準備や移動に要する時間の短縮が進んでいった。1929年からの世界大恐慌で新大統領が早急に政策を打ち出す必要に迫られた。33年に議会が憲法改正し、就任式の日程を選挙から約2ヶ月ごの1月20日に定めたのち現在に至っている。大統領の就任式で、ソプラノ歌手のレディー・ガガさんがアメリカ国家を独唱した。(2021.01.20日本経済新聞)

副大統領はバイデン氏の支持者である、ハリス氏。ハリス副大統領は、1月20日、就任式を祝う特別番組で「暗黒の時代でも、私たちは夢見るだけでなく実行する」と述べ、新型コロナウイルス感染拡大や政治の分断など足元の危機を切り抜けるべく努力することを米国民に誓った。また、危機を乗り超えるために「団結し、自分たちを信じ、国民を信じ、ともに成し遂げられるこを信ずる」ことが求められるとし、結束を呼びかけた。

ハリス氏は、南北戦争の復興を見たリンカーン大統領や公民権運動を主導したキンギ牧師、アポロ計画の月面着陸など、米国史に残る挑戦を例示し「大いなる試みは大いなる決意を伴う」と指摘。「同様の決意が今日の米国でも表れている」と述べてコロナ禍と戦う科学者や教員、子育てに奮闘する親を称賛した。

ハリス氏のスピーチの後にはソウル歌手のジョン・レジエンドさんが「フィーリング・グッド」を披露した。人権活動家でもある黒人女性歌手ニーナ・シモンさんが歌ったことで有名な同曲には「新たな夜明け」「新たな人生」という歌詞がある。(2021.01.22日本経済新聞)

個別ページへ |Posted 2021.1.22|

キーワード・人獣共通感染症


動物と人に感染する病原体によって引き起こされる。200種類以上が確認されている。人の感染症の6割が人獣共通感染症の約6割が人獣共通感染証だという。
近年パンデミックを起こしたインフルエンザや重症性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、新型コロナ(COVID-19・新型武漢肺ウイルス)などがある。各国の科学者が参加する政府間組織「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」が2020年10月にまとめた報告書によると、毎年、5つ以上の新たな人獣共通感染症が発生しているという。

哺乳類や鳥類には未知のウイルスが、170万種おり、そのうち63万1千~82万73千種が人に感染する可能性があると推定している。パンデミックによる経済損失は深刻で7月までで推定8兆~16兆ドルとした。予防にかかるコストは、野生動物の取引の制限や土地利用の見直しなどの対策で177億~269億ドルとそんしつの100分の1以下ですむとしている。

同日の記事と一緒に、昭和大学医学部の二木芳人客員教授は(臨床感染症学)は「病床の確保の見通しが甘かった。人材や資金面で医療機関を支援する仕組みもできていない」と指摘する。国の感染証対策についても「常に後手に回っている。司令塔がおらず大きな絵を掛けていない。専門家の意見を踏まえて最大限の想定で備える体制が必要だ」と訴えている。

米国疾病対策センター(CDC)で感染症に携わってきた加藤茂孝氏は「感染症への向き合い方は火山や水害と同じリスク管理だ」と話す。災害はなくならないが、台風の接近前に交通機関を止める、地震に強い建物を造るといった対処で減災はできる。パンデミックの反省を踏まえ、感染症流行の多発が予測される今後の時代に備えて被害を最小にする対策をたてる必要がある。
(2020年12月30日・日本経済新聞から)




個別ページへ |Posted 2020.12.30|

新型コロナで世界は変わった


新型コロナウイルスのの危機は格差の拡大や民主主義の動揺といった世界の矛盾をあぶり出した。経済の停滞や人口減、大国の対立。将来のことを高をくくっていた課題も前倒しで現実となってきた。古代ローマ平和と秩序の女神「パクス」が消え、20世紀の価値観の再構築を問われている。

「人々は同じ嵐に逢いながら同じ船に乗っていない」。米ニューヨーク市の市議イネツ・バロン氏は訴える。同市は新型コロナで約2万4千人もの死者を出した。市内で最も所得水準の低いブロンクス区の死亡率を10万人あたりに当てはめると275。最も高所得のマンハッタン区の1.8倍だ。3月の都市封鎖も低所得者が多い地区の住民は「収入を得るため外出し、ウイルスを家に持ち帰った」(同氏)命の格差が開く。

危機は、成長の限界に直面する世界の現実を私たちに突きつけた。
古代ローマ、19世紀の英国、そして20世紀の米国。世界の繁栄をけん引する存在が経済や政治に秩序をもたらし、人々の思想の枠組みまで左右してきた。ローマの女神にちなみ、それぞれの時代の平和と安定を「パクス」と呼ぶ。だが今、成長を紡ぐ女神がいない。(2020.09.07 日経新聞)

■ 【パクス】は、ラテン語「Pax」はローマ神話の平和と秩序の女神。18世紀の英歴史家エドワード・ロマーナの五賢帝時代を「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」と評し、覇権国によって安定と繁栄がもたされる時代を指す言葉となった」

個別ページへ |Posted 2020.11.4|

中国観(2020年7月・M.FUレター)


いまやアメリカと世界の覇権を争う存在にまで大国化した中国。その隣国である日本にとって、その動向は無視できません。今回は私個人の中国観をお伝えします。
【分裂過程に入りつつある】
中国の歴史を振り返ると、中国は常に分離と統一を繰り返しています。春秋戦国時代より小国分立の中から統一の動きが生まれ、最終的に統一国家となる王朝が成立します。この王朝、しばらくすると世の中がうんできて国内から反政府運動が現れ、最終的に王朝は崩壊し、群雄割譲の状況に陥ります。そこからまた統一の動きが始まります。この分裂と統一のサイクルは、ほぼ、100年単位で繰り返していると見ています。

こうした視点で現在の中国を見ると、1910年の辛亥革命で清朝が倒れてから、約40後の1949年に共産党王朝と言える中華人民共和国が成立しました。ただ清朝は一気に崩壊したのではありません。1840年に始まったアヘン戦争でイギリスに負けた頃から、すでに衰退は始まっていました。それから70年かかって崩壊し、その後しばらく群雄割拠状態が続き、40年かけて統一が実現したのです。

統一から71年が経過し、現在、習 近平体制は盤石のように見えますが、香港の動きをはじめ、国内に広がりつつある大衆の政権への不満を考えれば、底流ではすでに崩壊への萌芽は芽生え始めていると思います。私は、今後さらに強権化が進んでいくと思いますが、それは無理やりに力で抑えなければ抑えられないくらい不満が高まっていることの裏腹と見ています。力で抑えれば抑えるほど、逆に反発も強まり、それが次第に政権への体力を奪い、いずれは崩壊へと至ることでしょう。

【体制崩壊は常に民衆蜂起から】
中国には昔から易姓革命という思想がある。易姓革命ととは「天使は天命によってその地位を与えられて天下を治めるが、もし天命にそむくならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天使とする」という思想です。この天命は民意と解され、民衆はときの皇帝が自分たちの意に沿っていないと思えば、皇帝をひきずり下ろしてよい、と考えられているという。事実、中国の歴代王朝は、太古の昔から黄巾の乱や太平天国の乱のように必ず何らかの民衆蜂起がきっかけとなって崩崩壊へと至っている。だからこそ共産党政権は雨傘革命と呼ばれるこんこんの民衆蜂起に神経を尖らし、何としても抑え込もうとしている。この抑え込みは短期的には成功するかもしれません。しかし長期的には失敗に終わり、私は、後世の歴史書には「香港で起きた雨傘革命が共産党政権崩壊にのきっかけとなった」と記述されるようになると考えています。

【家族を信じ国を信じず】
私は「中国人は家族は信じるが国は信じない」と考えています。なぜなら歴史上、国は何度もできては滅んでいるからです。国が滅びれば、その国が発行した通貨やその国の下で担保される土地に対する権利なども全て価値がなくなります。永続しないものは信じられないのです。一方、家族の血のつながりは永遠に変わりません。だからこそ国ではなく家族を信じるのです。この中国家族の固い絆は、国境を越えてつながり、強固な華人ネットワークを形成しています。私はこの華人ネットワークが、今後、共産党政権を衰退させ崩壊へと導く原動力になるのではないかと思います。なぜならばこのネットワークはいくら共産党政権でも、その影響下に置くことはできません。したがって国の内外でいくらでも反政府活動をしたり、それを支援することができるからです。「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、4,000年の歴史がある中国だからこそ、歴史は繰り返されると私は思います。

個別ページへ |Posted 2020.9.6|

LNG火力・備蓄2週間の死角


新型コロナウイルスの感染が海運などの事業継続に影を落とすなか、2020年の春、日本の隠れた停電リスクが浮上していた。発電燃料の4割を依存する液化天然ガス(LNG)は、全量を中東や東南アジアなどから船で輸入。長期保存に向かないことから備蓄量は2週間にすぎない。LNG発電の最前線を死守しようと、東京電力ホールディングスと中部電力が折半出資する火力発電最大手JERAが水際対策を急いでいた。

東京品川区にある品川火力発電所の会議室に、複数の一人用のテントがずらりと並んだ。「感染が広がっても安定供給を続けるため、何十にも対策」をとった。首都圏や中部圏にの電力供給を担うJERAが発電所内に設けた簡易の宿泊所。コロナ通勤のため公共交通機関をつかうと感染リスクも高い状況。

最終手段として作業員を帰さず発電所内で寝泊まりする。さらに、LNGの受け渡しを途絶えさせないためのワークホローも導入された。JERAは、千葉から神奈川に至る東京湾は、日本のLNG発電の最重要拠点が理由である。LNG火力は、今では日本の電量の支柱になった。

LNGは、遠い産地から海上輸送するため、気体をマイナス162度に冷やした液体。徐々に気化してしまうため、大量の在庫を持てないのが難点。日本の備蓄量は2週間程度しかない。中東などからLNGを日本に運ぶには、一ヶ月程度かかる。発電の燃料不足が長期にわたると発電ができなくなる。

コロナ感染が拡大すれば輸入に大きな影響を及ぼす恐れがある。「船内に一人でも感染者がいれば全船員検査や船の消毒が必要で、LNG基地への接岸を拒否される可能性も(大手商社)ある」といわれる。日本のエネルギー自給率は10%と程度、食料の40%w大きく下回る。JERAが、電力の安定供給のために新型コロナ感染拡大時の対策についてニュースが流れないことに疑問を感じる。(2020.04.24の情報から、このホームページ管理者の所見)

個別ページへ |Posted 2020.7.1|

企業30年説  (JR九州会長・唐池恒二)

熱戦の楽しみとは別に、プロ野球から産業の盛衰が学べる。かって唱えられた企業30年説が、球団経営の歴史を見ると実感できる。

セ・パ2リーグによるペナントレースがスタートしたのは、1950年。当時の球団名には、松竹ロビンス、大映スターズ、東映フライヤーズといった映画会社が幅をきかしている。映画が花形産業の時代だった。この頃、南海、阪急、近鉄、阪神といった私鉄も球団経営の主流をなしていた。やがて日本映画界が斜陽となり球団名からも消えてゆく。

70年代には、西鉄が太平洋クラブに、東映が日拓変にわった。鉄道と映画から不動産関連へと移っていった。80年代には、阪急がオリックスに、南海がダイエーにと、当時の金融と流通を代表する企業が登場してきた。2000年代に入ると、ソフトバンク、楽天、DeNAといった「IT企業」が主役の場に躍り出た。

産業界全体の歴史を振り返ってみても、50年代には繊維産業、60年代には鉄鋼・造船が隆盛を極めた。70年代に入ると家電や流通が台頭し、80年代には自動車産業躍進した。そして今「IT産業」の活躍が目覚ましい。最近、映画の人気も復活し、私鉄各社は不動産開発で業績を伸ばし、国鉄も「JR」となり勢いが出てきた。企業30年説とは言い難くなってきた。
(2020.03.16日経新聞あすへの話題から)

個別ページへ |Posted 2020.6.21|