話の広場
blog

産経抄2022.03.08⇒このHP管理者は嘘つきロシアの「ウクライナ侵攻」と題した。


第二次世界大戦の終戦直後、スターリン独裁下の旧ソ連は、60万を超える日本兵を拉致して、強制労働を課した。約、6万人が非業の死を遂げたとされる。
長期の抑留は明らかに捕虜の保護を目的とする「ジュネーブ条約」や日本兵の早期日本国帰還を求めたポツダム宣言に違反していた。ロシアのエリツイン大統領は、1993年の来日時に謝罪している。

・残念ながらプーチン氏はまったく違う立場をとる。昨年の8月、ロシア政府は突然、関東軍をめぐる文書を公開した。「日ソ中立条約の下でも、対ソ連戦の準備を進め細菌戦を計画していた」との内容である。実際には・ソ連が条約を一方的に破って対日参戦し北方領土を不法占拠した。捕虜の抑留を含めて、当時の日本に対する非道を覆い隠そうとする。歴史戦の一環である。

・相手に「悪」のレッテルを貼りつければ何をやっても許される。プーチン氏はどうやら同じ手口でウクライナ侵攻に踏み切った。「ロシア系住民を迫害し核兵器の開発も進めている」何の根拠もない「情報」が、民間人に殺害や原発への攻撃を含めた暴挙の正当化に使われた。国際法違反との批判にも、耳を傾ける気配はない。

・日本人の抑留は「シベリア抑留」と呼ばれてきた。実際には日本から8,000キロ以上も離れた当時のウクライナ共和国にも移送された。ソ連から独立後は、抑留者の情報公開に協力的だった。2年前の南日本新聞に、鹿児島に住む元抑留者の証言が載っていた。「過酷な日々が続いたが、ウクライナ人は好意的に接してくれた」と言う。実際、他の地域と比べて死亡者は少なかった。「ソ連当局やソ連兵に恨みや憎しみはあるが、ウクライナ人には一切ない」と。

管理者の個人的な意見
1945年9月、北海道島民が「嘘つきソ連に北方四島」を騙されてとられた。
もし、ロシアが「北方四島共和国」をつくれば、北海道を攻められても不思議ではない。
PS:2022.03.13
3月11日、ロシアは、北方四島周辺で10隻のロシア艦艇で軍事演習をした。

個別ページへ |Posted 2022.3.8|

すべては従業員に教わった (作家・北 康利)

『すべては従業員に教わった』成功の鍵は現場にあり。
現場に謙虚に耳を傾ける姿勢が、社長の求心力と従業員のヤル気につながっていく。

■『ばかっちょら!!』

草創期のホンダの工場は、創業者の本田宗一郎の怒鳴り声が絶え間なく聞こえていたという。そんな本田は『現場・現物・現実』を大切にし、いつも作業員姿で従業員とともに油まみれになって新しいエンジンの開発に取り組んでいた。”おやじさん”と慕われていたが、熱血指導ではじめると手がつけられなくなる。だが、現場の従業員が本当に怖かったのは、指示通りできなかったことではなく、質問攻めに遭うことだった。

「なぜ、このエンジンはこんな形をしているのか?」「なぜこれだけしか生産できないのか?」「なぜもっとスピードがでないんだ?」本田は小学生のような純粋さで、納得がいくまで彼らを質問攻めにした。「おれは小学校しか出ていないから、みんなに聞いたほうが本を読んだりするより早くわかるから教えてもらうんだ」経験の長い本田が従業員より知識が少なかったとは思えない。

だがそれでも彼は質問した。答えに納得がいかない場合、「もう少し勉強してみたら教えてくれるか」とまで言った。社長の期待に応えるべく、従業員が必死に勉強したのは言うまでもない。従業員から学ぶことは大切だ。彼らが現場から拾い上げてきた知恵に、経営者は謙虚に耳を傾けねばならない。そして現場からの声が少ないと感じたら、彼らを叱咤してでも吸い上げていかねばならない。成功の鍵はすべて現場に落ちている。そのことを経営者は忘れてはならない。

■ワコルーを作った女傑

ワコールは日本企業には珍しく女性が支えてきた会社だ。その歴史の中で何人もの伝説の”女傑”が表れるのだが、渡辺あさ野という縫製技術者はその筆頭であった。父親を2歳で亡くし、貧窮のどん底を経験した苦労人である。小学校にも行かず、地頭の良さで海軍陸戦隊の工場に務めて頭角を現わす。

とにかく数字に強い。大量生産の工程管理を確立させ、落下傘制作の流体力学問題についても専門家のような発言をするようになった。終戦後、塚本幸一に工場を見てくれと言われ彼女は、現下にこう言い放った。「そんなやり方して儲かるわけないでしょう!」

当時は、一一枚のブラジャーの縫製工程を一人の職人が行っていた。渡辺に言わせれば無駄だらけだったのだ。「そない偉そうに言うんやったら、おまえやってくれ!」こうして渡辺の入社が決まった。すると社内の縫製工場はすべてフォード方式の流れ作業になり、トイレに行く時間まで管理されるほど綿密な作業工程が作られ、生産量は飛躍的に向上した。塚本は下請け工場の指導、導入する機械の選定もすべて渡辺に任せた。渡辺は期待に応え、次々に工場を稼働させていった。

塚本は最初、縫製の現場は職人肌の人間に任せ、ほとんどがノータッチだった。だが、すぐれた技術者の言葉に謙虚に耳を傾け、彼女をスカウトすることがワコールの快進撃のスタートラインとなった。やはり、成功の鍵は現場にあった。

■そうせい候

長州藩といえば、攘夷の先頭に立ち、倒幕の先頭にもたち、明治政府を支え、初代総理・大臣伊藤博文を輩出した雄藩である。その原因をたどると一人の人物にたどり着く。それが長州藩主・毛利敬親である。家臣からの上申に「そうせい」と言うことが多かったため「そうせい候」と呼ばれているが木綿服を着て財政再建の先頭に立ち、吉田松陰の才能を愛して重用し、軍備拡張にも取り組んだ名君であった。

特に、彼の偉いのは、禁門の変に触れ、官位を剥奪され、朝敵として長州征伐の対象になっても家臣たちを信じ続けたことだ。版籍奉還にも抵抗せず、むしろ国を強くするために必要な政策だと、木戸孝允の上申に「そうせい」と応じた。彼に私心がなく、現場の意見に素直に耳を傾けるリーダーだったからこそ、長州藩は幕末維新期に大きな存在感を発揮し続けることができた。

「そうせい」とは、サントリーの鳥居信次郎・佐治敬三親子流に言えば、「やってみなはれ!」だったのだろう。自らリーダーシップを発揮するのだけが名君でないことを、「そうせい候」は時を超えて我々に教えてくれている。

個別ページへ |Posted 2022.3.3|

台湾民主化の父・李 登記総統の秘書・早川友久


台湾民主化の父、李 登記総統の日本人秘書がFacebookに載せた新年の挨拶です。
新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨年はコロナの急拡大に見舞われた台湾でしたが、官民一体となった防疫対策と、日本をはじめとする国際社会の支援で、今では夜市もこんなに賑わうほどとなりました。
台湾海峡の緊張は相変わらずでので、本年も引き続き日台関係と台湾への関心と応援をよろしくお願いいたします。


11月20日(土)に台中市の国立中興大学で「台日安全保障シンポジウム」に登壇させていただきました。
発表時間は10分程度でしたが、私がお話した内容は下記の通りです。「1999年9月に台湾中部で発生した『921大震災』のとき、世界中で一番最初に救援隊を派遣したのが日本だった。当時、日本の救援隊は最新鋭の機器を駆使して行方不明者を探す一方、遺体で発見された際には『助けられなくて申し訳ない』と遺族に謝罪したという。これらのエピソードは今でも語り草になっている。

私は2007年から台湾に住んでいるが、私が日本人だと分かると『あのとき一番最初に台湾に助けに来てくれたのが日本だった、ありがとう』と言われたことは一度や二度ではない。
今年5月、台湾はコロナの市中感染が急拡大したが、台湾社会に衝撃を与えたのがワクチンの在庫不足だった。急遽購入しようとしても、蔡英文総統が「中国の妨害により契約できてない」と明言したように、ワクチン調達は難しいと思われた。『これからどうなるのか』というのが、台湾在住の日本人も含め、台湾社会の正直な気持ちだっただろう。あの当時の暗い雰囲気は私自身もよく覚えている。

6月3日の夜、突如『日本からのワクチンは明日午後、台湾に到着』とのニュース速報が流れた。翌日、ワクチンを載せた日航機が台湾桃園国際空港に着陸する光景はすべてのニュースチャンネルが生中継していたし、私自身も見ていた。あの日の夜、台北101ビルや有名ホテルが「ありがとう日本」とライトアップして日本への感謝を表明し、SNS上は「謝謝日本!」のコメントであふれた。まさに日台関係が大きく前進する一歩を目撃したと感じているが、これもやはり世界中で一番最初に台湾にワクチンを送ったことに意義がある。

10月に行われた財団法人台湾民意基金会の世論調査で「台湾がもし中国による武力侵攻を受けたら、日本は介入すると思うか」という設問に対し、58パーセントが「思う」と答えた。この数字について、私は「けっこう高いな」と感じた。というのも、李登輝総統が日本に大きく期待する一方で、「日本はもっと強くならなければならない」と常に叱咤していたように、日本がときに中国の顔色を伺うばかり、台湾に冷淡な態度を取ることが多々あったし、そう感じている台湾の人たちも少なくないからだ。

実際、2018年に交流協会台北事務所が台湾で行った世論調査で、日本は「好きな国はどこか」などの設問で1位になったものの「台湾に影響力のある国はどこか」という設問については、1位が中国、2位がアメリカで、日本は3位だった。良くも悪くも台湾に影響力があるのは中国であり、米国なのは間違いない事実だ。

だからこそ、10月の世論調査で58パーセントの台湾人が「台湾がもし中国による武力侵攻を受けたら、日本は介入すると思う」と答えたことが予想外に高いと感じられた。その理由として、私個人の考えだが、今年6月に日本が世界で最初に台湾へワクチン寄贈したことが背景にあるのではないだろうか。日本が中国のことを気にせず、台湾へ寄贈したことで、日本に対する信頼や期待が高まったといえるのではないか。

そう考えると、冒頭紹介した921大震災のエピソードのように、今年ワクチンを寄贈したことは、これから10年後、20年後、30年後の日台関係にとって大きな財産になるだろう。外交においては2番とか3番では意味がなく、やはり1番でこそ意味があるわけで、文字通り「2番じゃダメなんです」と言えるのではないだろうか」

ご一緒させていただいた、産経新聞の矢板明夫支局長、中央通訊社の張瑞昌社長をはじめ、関係者の皆さま、ありがとうございました。

個別ページへ |Posted 2022.2.3|

令和4年(2022年)の干支・壬寅


令和4年(2022年)は「壬寅(みずのえ・とら)年。皇紀2682年・昭和で数えると97年。壬(みずのえ)という字は、中央の支柱にふくらみがある鋳造の台を表し、強く支えるという意味から「壬(みずのえ)」、太くふくらんでいるという意味から「妊(はらむ)」という字に通じ、そこから「任せる(まかせる)」、「陽気をはらむ」という意味があると言われている。

寅(とら)という字は、下の八は、真ん中は手を合わせる姿を表し、そこから「つつしむ」「約束する」「協力する(協力しあって大義を果たす)」「助ける」という意味があると言われている。この干支から令和4年(2022年)の動きを推測すると、新たな動きが胎動をはじめ、それが発展していく年になる。そのためには適材適所で人材を選び、その人に任せるべきことは任せて、互いに協力して物事にあたることが大切。間違った人に任せたりしないように十分に注意して、常に慎んで行動することが大切と言われています。

 

個別ページへ |Posted 2022.1.5|

最強の柔道家は人間力から(ブログの管理者⇒すべてに言えると考える)


金メダル一号となった高藤直寿や阿一二三(ともにパーク24)が座礼して畳を降り、大野奨平、永瀬貴規(ともに旭化成)は白い歯をこぼすことなくライバルと健闘をたたえあった。「礼に始まり礼に終わる」。東京五輪で日本の柔道家たちの抑制の利いた振る舞いもまた、見る者の心に刻まれた。「ただ強いだけでいいわけではないと言い続けてきた」全日本柔道連盟(全柔連)強化副委員長を務めた山田利彦が言う。

今大会、柔道日本代表の特色の特色の一つが、人間力や教養の育成にも少なからず時間を割いたことだ。合宿中に時折組込んだ書道や陶芸、茶道の体験。遠まわりに見える時間にも、男子監督の井上康生監督には外の世界に目を開かせ、興味をも持って取り組むことで自主性を育む狙いがあった。かったてない緊張感と期待に包まれる自国開催の五輪。「最後に腹をくくって戦うことは、人間として自立しないとできない」。言われるがままのお仕着せでは極限を乗り越えるには限界があるとみていあた。


著名なアスリートによる講演などにも選手を連れ出し、芯が弱いとみた選手には海外への単身者修行を勧めた。口下手な永瀬ににコーチの金丸雄介は「本を読め」と論した。「(考えを)を言語化できないことは、抱えている問題を解決できないことにもつながる」。抜きんでた技にしなやかな心を加えた柔道家たちは、五輪にすむといわれる魔物も何するものぞと、堂々とした戦いを見せた。

日本オリンピック委員会(JOC)も掲げる「人間力なくして競技力向上なし」の範をを示すような育成を実現した柔道界。しかし、足元を見ると。裾野では地盤沈下が迫っている。全柔連への登録者数は2006年から15年連続で減少。2019年で14万人超と直近ピークの2005年から3割減り、中学生は4割減った。1964年東京大会五輪競技に採用されて以降、柔道は国民的行事での成果をあびることで、競技人口を拡大してきた。

しかし、娯楽や習い事が多様化するなか、五輪が万能だった時代は過去のものに。打ち込みなどの反復練習も多い厳しい稽古や、しきたりや伝統の重視といった柔道の特徴は美徳でもある反面、現代っ子にはハードルが高いのか。リオデジャネイロ五輪で成績がV字回復後も、減少に歯止めがかからない。=日経・西堀卓史2021.10.29の原稿から転載)

個別ページへ |Posted 2021.11.3|

残念・パウエル元米国務長官の訃報(イラク開戦 深い悔恨)2021.10.20日経

2021年10月18日に84歳で死去したコリン・パウエル元アメリカ国務長官は、黒人として初めて米国の安全保障や外交の要職を歴任した先駆者だった。湾岸戦争の指揮官として英雄視される一方、イラク戦争開戦に国務長官として事実無根の情報を力説したことを深く悔やんだ・超大国の「戦争」を知る信念のリーダーが去った。
ニューヨークの黒人街でジャマイカ系移民の息子として生まれた。大学卒業後、陸軍に入り、ベトナム戦争の戦地に2度就いた。若き軍人は大統領補佐官(米国安全保障担当)、ブッシュ(第41代)政権時の米軍制服組トップの統合参謀本部長にいずれも「黒人初」として就任した。

米国の「英雄」とみなされたのは1991年の湾岸戦争だった。前年にクエートに侵攻したイラクの軍事施設をピンポイントの空爆で破壊する「砂漠の嵐作戦」を指揮した。テレビのニュースに映し出された作戦の状況を理路整然と説明するパウエルの姿は超大国の強さを世界に見せつけ、米世論の絶な指示を得た。黒人大統領とう期待は高まったが、妻の反対もあって1995年にお「自分には熱意がない」と不出馬を告げ、その後も呼びかけに応じなかった。2000年選挙はブッシュ大統領(第43代)の選出を支持し、翌年発足したブッシュ政権で黒人初の国務長官に就いた。明暗はここで分れる。2001年9月の米同時テロ後、米国はイラク批判の矛先を向けた。

2003年の演説でフセイン政権が大量破壊兵器を隠しもっているとする米情報機関の見解に「疑いがない」と明言。翌年のイラク戦争開戦への道を開いた。後年、大量破壊兵器の存在が否定されると「私が世論を曲げたのは間違いない」と、と情報機関の見解をうのみにしたことへの深い痛恨を口にした。穏健な保守主義を志向し、欧州の同盟国などを重視する国際協調の路線はチエイニー副大統領ら保守主義波との対立が絶えなかった。白人エリートと違う経歴、そして軍人として戦争の現場経験が、パウエル氏の率直さとバランス感覚を研ぎすましたのだろう。

国際協調を断ち切り自国第一に突き進むトランプ前大統領の存在に危機感をあらわにした。2020年8月オンラインの民主党大会で「いまの米国は分断した国家だ。我々の大統領は分断を生み、それに全力を傾けている」とトランプ大統領を批判し、現大統領であるバイデン氏への支持を明言した。米国が軍事力を使うのは国益が死活的に脅かされた時の最後の手段だあり、目的を明確にして、圧倒的な戦力を集中的に投入しなければならない。ベトナム戦争の経験から生まれた武力行使の考え方は「パウエル・ドクリントン」と呼ばれる。

パウエル氏が活躍した1990年代からの世界の安全保障を巡る情勢も、超大国の米国の役割も激変した。米軍のアフガニスタンからの撤収は、米国の外交・安保政策の転換を象徴する。「素晴らしいい友人とメンターを失った」黒人初の国防長官であるオースティン氏はこう悲しんだ。米中対立が緊張感を増す中、パウエル氏が残した足跡や理念に、米国が学ぶものはまだ多いはずだ。(日経2021.10.20ワシントン支局長・菅野幹雄)

個別ページへ |Posted 2021.10.25|

トヨタ自動車 入社式 豊田 章男 社長の挨拶(全文) 2021.04.01

皆さん入社おめでとうございます。昨年は、新型コロナウイルスによる感染拡大での影響で残念ながら入社式をすることができませんでした。今年もギリギリまで悩みましたが、オンラインという新しいい形で実施することができましたので、昨年お話しできなかった入社2年目の皆さんに向けても、私の思いをお伝えしたいと思います。これまでの入社式で、私が必ずお話ししてきたことがあります。それはとにかく「3年間ガムシャラに働いて欲しい」ということと、「クルマを好きになってほしい」ということです。皆さんにも同じ言葉を送りたいと思います。私が社長に就任してから入社された方は2万2,000人。全従業員の4人に1人が、私の言葉を胸にトヨタでの人生をスタートされたことになります。ただ残念なことに、そのうち約1割の方がトヨタを退社されております。私が社長として、この事実を重く受け止めております。

特に若いうちに退社を決めた理由の一つに、デジタル化の遅れがあります。今のトヨタには情報を持っている人がえらいという風潮があり、情報が共有されず、一部の人だけのものになっている実態があります。この現実を変えるためにも、デジタルネイティブ世代がリーダーとなり、この3年間でデジタル化を一気に進め、世界のトップレベル迄もっていきたいと思います。そうすることで、必要な人が、必要な時に、必要な情報を入手できるようにし、みんなが同じ方向を向いて仕事に打ち込める環境を作りたいと思っております。

そうしてもう一つ、自動車産業550万人の仲間とともに取り組むテーマが「カーボンニュートラル」です。その実現にはイノベーションが不可欠です。私は、イノベーションは多様性の中から生まれると考えております。本日ご参加の皆さんは、これまでの経験もキャリアも1人1人異なります。多様な考え方や個性を大切にして、イノベーションの原動力になってほしいと思っております。皆さんの中には、人生の節目をコロナ禍で迎えたことについて「運が悪い」「なぜ自分たちが」思っているかもしれません。でも、皆さんが積み上げてきた経験は必ず役にたちます。過ごしてきた日々に、自信を持ってほしいとと思います。

これから職場に入れば、仕事の厳しさや悩み、苦しむこともあると思います。私自身がそうでした。キャリア入社でトヨタに入り、理不尽な状況に苦しんだこともあれば、自分の力のなさを実感し、挫折したことも1度や2度ではありません。それでもなんとかやってこれたのは、「トヨタが好きで、車が好きだ」という気持ちが消えなかったことと、つらい時こそ寄り添ってくれた上司、同僚、友人がいたからです。私は、挫折を経験する度に人は成長し、優しく、また強くなれると思っています。新卒の皆さん、挫折を恐れないでください。キャリア入社の皆さん、他の会社での経験というトヨタと比べるものがあることを強みにして下さい。そして皆さん、困った時に頼りにできる友人や仲間を大切にしてください。

上司の方々は、職場の一人一人に寄り添い、その成長と活躍を自分自身の喜びにして下さい。その為にも、業務を付与する時には十分な情報共有をして、仕事の目的、納期、優先順位を明確にしてあげて下さい。全員が仕事の意味を腹に落として働ける職場作りをお願いしたいと思います。今は変化が激しい時代ですので、新入社員の皆さんはもちろん、上司や先輩もいろいろと沈黙だけでなく発言を、説得でなく共感を、利己ではなく利他を優先して欲しいと思います。そして失敗をした時には、絶対に隠したりごまかしたり、嘘をついたりしないこと。立ち止まって、全員参加で、現地現物で真因を突き止め、対策を取り改善をする。これがトヨタの行動規範であり、創業から受け継いできたDNAでもあります。

トヨタという会社は、日本の未来の為に自動車産業を興そうという、豊田喜一郎や創業メンバーの志から生まれました。創業メンバーは苦労の連続で、何もいいところを見ておりません。いいことばかり見させてもらっている現役の私たちが、リスクリスク言って何も挑戦しなければ、先人にも後人にも合わせる顔がありません。継承者こそ挑戦者でなければならない。皆さんもこの思いを刻んでほしいと思います。

最後に、少し視点を変えてみたいと思います。皆さん、窓の外を見てください。満開の桜は見えませんか。私がいるのは自然豊かな場所ですので、耳を澄ませば鳥のさえずりも聞こえます。人間以外の生き物は、コロナがあってもこれまで通りに暮らしています。右往左往しているのは、人間だけかもしれません。人間が主人公だ、と思っている地球という劇場の見方を変えてみるいい機会だと思います。皆さんがこうした視線で世の中を見るようにして下さい。未来の為に、地球の為に、私たちがやるべきことは沢山あります。
これから一緒に頑張って参りましょう。改めまして、入社おめでとうございます。(2021年4月1日・原文)

個別ページへ |Posted 2021.10.8|

東京開催のオリンピック・パラリンピックが終わる

2021年9月5日・東京オリンピック・パラリンピックが終わる。事件が起きたのは開幕直前だった。1972年1月、札幌五輪のために来日していたオーストラリアの滑降王、カール・シュランツが企業の企業の広告活動で報酬を得ているとして失格になったのである。国際オリンピック委員会(IOC)のブランテージ会長が激怒した。

▼アマチュアリズムを信奉する、この人ならではの決断だったという。しかいその強硬ぶりに批判が湧き出し、のちにIOCはアマチュア規定を削除した。80年代からはサマランチ会長のもとで商業化へと舵を切り、ロサンゼルス大会がその象徴となった。昨今では、IOCは世界に五輪を売り歩く営利組織だと評される。

▼コロナ過でほぼ無観客の開催となる東京大会も、テレビの放映権料料が入るからIOCの腹は痛まないという。目下この組織を率いるバッハ会長は、7月14日に、菅総理と会って意気軒高な様子を見せていた。あす(7/16)は広島を訪れて平和を祈ると言う。大いに日本を知る、IOCなるものを、多くの日本人がどう見ているか知ると良い。

▼シュランツ事件など今は昔。往時のようなアマチュア至上主義には戻れないにしても、開催国に負担を強いて、自らは肥え太るIOCビジネスが限界に来ていることは明白だろう。コロナの東京感染者は、7月14日に、1,000を大きく超えた。そんななかで開く東京大会が五輪貴族たちに改心をもたすなら、いささかの救いはあると思うが・・・。(2021年7月15日・日刊紙の夕刊「春秋」から)

このホームページの管理者は思う「オリンピック・パラリンピック」は世界平和のためではなかったのか?一説に、東京大会を中止したら、巨額な違約金をIOCは要求してくる。よって中止できない状況に追い込まれている。これが事実であれば「全ての関係者が報道しない」如何なものかと考える。(蛇足・パラリンピックの成功は開催国の力量を問われると思う)
(パラリンピックに出場した選手が「自分らしさを追求する姿」は素晴らしかった)

 

 

個別ページへ |Posted 2021.9.5|

石原軍団に学ぶ人生哲学 (東京大学名誉教授)

昭和最後の大スターだった渡 哲也さんが、2020年8月10日に亡くなった。渡さんは33年前に世を去ったスーパースター、石原裕次郎さんが立ち上げた石原プロを引き継いでいたが、それも2021年には解散するらしい。2代目だった渡さんの先代への心酔ぶりはつとに名高い。そもそも初対面の出会いが決定的だったらしい。日活の新人として採用された渡さんは、撮影所を連れて回され、俳優のみならず幹部や事務方に挨拶して回ったという。いずれも軽く会釈されるほどだった中で、いよいよ憧れの大スターの前に進んだ。その時、食堂で裕次郎さんは昼飯を食べていたが、手を休めて席を立ち上がり「君が渡君ですか。頑張ってください」と肩を叩いてくれたという。渡さんにとっては思いがけない感激の一瞬だったのだ。

10代後半ののころの渡さんはずいぶん不良仲間と遊びほけていたらしく、教育熱心で厳格な父親にとって気がかりでしょうがなかったという。受験勉強に身が入らなかったという。受験勉強に身が入らない高校3年生の長男に宛てた手紙が今でも残っている。「父親は今、お前のことを非常に心配している。・・・太陽族などと呼ばれる石原裕次郎が今、世に名を上げている。だからのんきにやっていれば、裕次郎のように名を上げられるというようなことを、まさかお前は考えてはないであろう。無数の道楽息子の中の一人が、時流に乗って偶然に名を上げた、宝くじを買うようなことをお前は考えているとも思えない。・・・」(柏木純一『渡 哲也 俺』毎日新聞社)まさか、実名を挙げて道を踏み外したと、咎(とが)めた道楽息子の代表の下で生涯にわたって俳優としての人生を全うするなどとは、思いもよらなかっただろう。

しかし、事実は小説よりも奇なりというか、まさしくその人生を歩み「日本一愛された男」といわれる先代の名を汚さないように生きた誠実さが多くのファンの共感を呼んだのである。その背景にあるエピソードはとりわけ心を揺さぶるものがある。俳優になりたてにお頃、お風呂に入りながら、裕次郎さんが言ったことが忘れられなかったという。「酒を飲むなら、俳優同士とではなくスタッフと飲めよ」「俳優である前に、一人の社会人であれ」自分たちが今あるのは、陰で支えてくれるスタッフがいるおかげであり、世間感覚を忘れては」いけない、という裕次郎さんの人生哲学えある。ほとんど説教がましいことを言わなかった裕次郎さんが口にした、数少ない”戒め”であった。

「新聞を読みなさい。社説はね、新聞の良心だ」大企業の社長が幹部候補生に訓戒するなら分かるが、石原プロの中の会話だからこころ改まる。さらにまた石原プロ社訓として伝えられる裕次郎さんの言葉も忘れ難い。「人にしてやったことはすぐに忘れろ。人からしてもらったことはずっと覚えておけ」という戒め。「石原軍団」と通称される鉄壁の絆が生まれたのも分かる気がするの。阪神・淡路大震災や東日本大震災の後、石原軍団は何日間も炊き出しををして被災者の慰問に努めた。このようなボランティア活動をさりげなくやったことを思いだすとホッと心が和んでくる。(本村凌二 きむら・りょうじ=東京大学名誉教授・専門は古代ローマ史。2020年10月8日:日経新聞)

個別ページへ |Posted 2021.8.26|

朝鮮人について発言した著名人


・本田宗一郎 『韓国人と関わるな』
・吉田 松陰 『朝鮮人の意識改革は不可能』
・伊藤 博文 『嘘つき朝鮮人とは関わってはならない』
・新渡戸稲造 『朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある』
・新井 白石 『朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく』
・夏目 漱石 『余は支那人や朝鮮人に生れなかって善かったと思った』
・福沢 諭吉 『この世界に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝鮮人だ』

個別ページへ |Posted 2021.7.12|