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石原軍団に学ぶ人生哲学 (東京大学名誉教授)

昭和最後の大スターだった渡 哲也さんが、2020年8月10日に亡くなった。渡さんは33年前に世を去ったスーパースター、石原裕次郎さんが立ち上げた石原プロを引き継いでいたが、それも2021年には解散するらしい。2代目だった渡さんの先代への心酔ぶりはつとに名高い。そもそも初対面の出会いが決定的だったらしい。日活の新人として採用された渡さんは、撮影所を連れて回され、俳優のみならず幹部や事務方に挨拶して回ったという。いずれも軽く会釈されるほどだった中で、いよいよ憧れの大スターの前に進んだ。その時、食堂で裕次郎さんは昼飯を食べていたが、手を休めて席を立ち上がり「君が渡君ですか。頑張ってください」と肩を叩いてくれたという。渡さんにとっては思いがけない感激の一瞬だったのだ。

10代後半ののころの渡さんはずいぶん不良仲間と遊びほけていたらしく、教育熱心で厳格な父親にとって気がかりでしょうがなかったという。受験勉強に身が入らなかったという。受験勉強に身が入らない高校3年生の長男に宛てた手紙が今でも残っている。「父親は今、お前のことを非常に心配している。・・・太陽族などと呼ばれる石原裕次郎が今、世に名を上げている。だからのんきにやっていれば、裕次郎のように名を上げられるというようなことを、まさかお前は考えてはないであろう。無数の道楽息子の中の一人が、時流に乗って偶然に名を上げた、宝くじを買うようなことをお前は考えているとも思えない。・・・」(柏木純一『渡 哲也 俺』毎日新聞社)まさか、実名を挙げて道を踏み外したと、咎(とが)めた道楽息子の代表の下で生涯にわたって俳優としての人生を全うするなどとは、思いもよらなかっただろう。

しかし、事実は小説よりも奇なりというか、まさしくその人生を歩み「日本一愛された男」といわれる先代の名を汚さないように生きた誠実さが多くのファンの共感を呼んだのである。その背景にあるエピソードはとりわけ心を揺さぶるものがある。俳優になりたてにお頃、お風呂に入りながら、裕次郎さんが言ったことが忘れられなかったという。「酒を飲むなら、俳優同士とではなくスタッフと飲めよ」「俳優である前に、一人の社会人であれ」自分たちが今あるのは、陰で支えてくれるスタッフがいるおかげであり、世間感覚を忘れては」いけない、という裕次郎さんの人生哲学えある。ほとんど説教がましいことを言わなかった裕次郎さんが口にした、数少ない”戒め”であった。

「新聞を読みなさい。社説はね、新聞の良心だ」大企業の社長が幹部候補生に訓戒するなら分かるが、石原プロの中の会話だからこころ改まる。さらにまた石原プロ社訓として伝えられる裕次郎さんの言葉も忘れ難い。「人にしてやったことはすぐに忘れろ。人からしてもらったことはずっと覚えておけ」という戒め。「石原軍団」と通称される鉄壁の絆が生まれたのも分かる気がするの。阪神・淡路大震災や東日本大震災の後、石原軍団は何日間も炊き出しををして被災者の慰問に努めた。このようなボランティア活動をさりげなくやったことを思いだすとホッと心が和んでくる。(本村凌二 きむら・りょうじ=東京大学名誉教授・専門は古代ローマ史。2020年10月8日:日経新聞)

 |Posted 2021.8.26|