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残念・パウエル元米国務長官の訃報(イラク開戦 深い悔恨)2021.10.20日経

2021年10月18日に84歳で死去したコリン・パウエル元アメリカ国務長官は、黒人として初めて米国の安全保障や外交の要職を歴任した先駆者だった。湾岸戦争の指揮官として英雄視される一方、イラク戦争開戦に国務長官として事実無根の情報を力説したことを深く悔やんだ・超大国の「戦争」を知る信念のリーダーが去った。
ニューヨークの黒人街でジャマイカ系移民の息子として生まれた。大学卒業後、陸軍に入り、ベトナム戦争の戦地に2度就いた。若き軍人は大統領補佐官(米国安全保障担当)、ブッシュ(第41代)政権時の米軍制服組トップの統合参謀本部長にいずれも「黒人初」として就任した。

米国の「英雄」とみなされたのは1991年の湾岸戦争だった。前年にクエートに侵攻したイラクの軍事施設をピンポイントの空爆で破壊する「砂漠の嵐作戦」を指揮した。テレビのニュースに映し出された作戦の状況を理路整然と説明するパウエルの姿は超大国の強さを世界に見せつけ、米世論の絶な指示を得た。黒人大統領とう期待は高まったが、妻の反対もあって1995年にお「自分には熱意がない」と不出馬を告げ、その後も呼びかけに応じなかった。2000年選挙はブッシュ大統領(第43代)の選出を支持し、翌年発足したブッシュ政権で黒人初の国務長官に就いた。明暗はここで分れる。2001年9月の米同時テロ後、米国はイラク批判の矛先を向けた。

2003年の演説でフセイン政権が大量破壊兵器を隠しもっているとする米情報機関の見解に「疑いがない」と明言。翌年のイラク戦争開戦への道を開いた。後年、大量破壊兵器の存在が否定されると「私が世論を曲げたのは間違いない」と、と情報機関の見解をうのみにしたことへの深い痛恨を口にした。穏健な保守主義を志向し、欧州の同盟国などを重視する国際協調の路線はチエイニー副大統領ら保守主義波との対立が絶えなかった。白人エリートと違う経歴、そして軍人として戦争の現場経験が、パウエル氏の率直さとバランス感覚を研ぎすましたのだろう。

国際協調を断ち切り自国第一に突き進むトランプ前大統領の存在に危機感をあらわにした。2020年8月オンラインの民主党大会で「いまの米国は分断した国家だ。我々の大統領は分断を生み、それに全力を傾けている」とトランプ大統領を批判し、現大統領であるバイデン氏への支持を明言した。米国が軍事力を使うのは国益が死活的に脅かされた時の最後の手段だあり、目的を明確にして、圧倒的な戦力を集中的に投入しなければならない。ベトナム戦争の経験から生まれた武力行使の考え方は「パウエル・ドクリントン」と呼ばれる。

パウエル氏が活躍した1990年代からの世界の安全保障を巡る情勢も、超大国の米国の役割も激変した。米軍のアフガニスタンからの撤収は、米国の外交・安保政策の転換を象徴する。「素晴らしいい友人とメンターを失った」黒人初の国防長官であるオースティン氏はこう悲しんだ。米中対立が緊張感を増す中、パウエル氏が残した足跡や理念に、米国が学ぶものはまだ多いはずだ。(日経2021.10.20ワシントン支局長・菅野幹雄)

 |Posted 2021.10.25|