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すべては従業員に教わった (作家・北 康利)

『すべては従業員に教わった』成功の鍵は現場にあり。
現場に謙虚に耳を傾ける姿勢が、社長の求心力と従業員のヤル気につながっていく。

■『ばかっちょら!!』

草創期のホンダの工場は、創業者の本田宗一郎の怒鳴り声が絶え間なく聞こえていたという。そんな本田は『現場・現物・現実』を大切にし、いつも作業員姿で従業員とともに油まみれになって新しいエンジンの開発に取り組んでいた。”おやじさん”と慕われていたが、熱血指導ではじめると手がつけられなくなる。だが、現場の従業員が本当に怖かったのは、指示通りできなかったことではなく、質問攻めに遭うことだった。

「なぜ、このエンジンはこんな形をしているのか?」「なぜこれだけしか生産できないのか?」「なぜもっとスピードがでないんだ?」本田は小学生のような純粋さで、納得がいくまで彼らを質問攻めにした。「おれは小学校しか出ていないから、みんなに聞いたほうが本を読んだりするより早くわかるから教えてもらうんだ」経験の長い本田が従業員より知識が少なかったとは思えない。

だがそれでも彼は質問した。答えに納得がいかない場合、「もう少し勉強してみたら教えてくれるか」とまで言った。社長の期待に応えるべく、従業員が必死に勉強したのは言うまでもない。従業員から学ぶことは大切だ。彼らが現場から拾い上げてきた知恵に、経営者は謙虚に耳を傾けねばならない。そして現場からの声が少ないと感じたら、彼らを叱咤してでも吸い上げていかねばならない。成功の鍵はすべて現場に落ちている。そのことを経営者は忘れてはならない。

■ワコルーを作った女傑

ワコールは日本企業には珍しく女性が支えてきた会社だ。その歴史の中で何人もの伝説の”女傑”が表れるのだが、渡辺あさ野という縫製技術者はその筆頭であった。父親を2歳で亡くし、貧窮のどん底を経験した苦労人である。小学校にも行かず、地頭の良さで海軍陸戦隊の工場に務めて頭角を現わす。

とにかく数字に強い。大量生産の工程管理を確立させ、落下傘制作の流体力学問題についても専門家のような発言をするようになった。終戦後、塚本幸一に工場を見てくれと言われ彼女は、現下にこう言い放った。「そんなやり方して儲かるわけないでしょう!」

当時は、一一枚のブラジャーの縫製工程を一人の職人が行っていた。渡辺に言わせれば無駄だらけだったのだ。「そない偉そうに言うんやったら、おまえやってくれ!」こうして渡辺の入社が決まった。すると社内の縫製工場はすべてフォード方式の流れ作業になり、トイレに行く時間まで管理されるほど綿密な作業工程が作られ、生産量は飛躍的に向上した。塚本は下請け工場の指導、導入する機械の選定もすべて渡辺に任せた。渡辺は期待に応え、次々に工場を稼働させていった。

塚本は最初、縫製の現場は職人肌の人間に任せ、ほとんどがノータッチだった。だが、すぐれた技術者の言葉に謙虚に耳を傾け、彼女をスカウトすることがワコールの快進撃のスタートラインとなった。やはり、成功の鍵は現場にあった。

■そうせい候

長州藩といえば、攘夷の先頭に立ち、倒幕の先頭にもたち、明治政府を支え、初代総理・大臣伊藤博文を輩出した雄藩である。その原因をたどると一人の人物にたどり着く。それが長州藩主・毛利敬親である。家臣からの上申に「そうせい」と言うことが多かったため「そうせい候」と呼ばれているが木綿服を着て財政再建の先頭に立ち、吉田松陰の才能を愛して重用し、軍備拡張にも取り組んだ名君であった。

特に、彼の偉いのは、禁門の変に触れ、官位を剥奪され、朝敵として長州征伐の対象になっても家臣たちを信じ続けたことだ。版籍奉還にも抵抗せず、むしろ国を強くするために必要な政策だと、木戸孝允の上申に「そうせい」と応じた。彼に私心がなく、現場の意見に素直に耳を傾けるリーダーだったからこそ、長州藩は幕末維新期に大きな存在感を発揮し続けることができた。

「そうせい」とは、サントリーの鳥居信次郎・佐治敬三親子流に言えば、「やってみなはれ!」だったのだろう。自らリーダーシップを発揮するのだけが名君でないことを、「そうせい候」は時を超えて我々に教えてくれている。

 |Posted 2022.3.3|