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金 賢姫元工作員が明かした苦難の20年(産経新聞20220919)


北朝鮮が2002年の日朝首脳会談で日本人拉致を認めてから17日で20年となった。1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯で、北朝鮮で横田めぐみさんら拉致被害者と接触のあった金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(60)にとってこの20年は、被害者の帰国を待つ家族同様に苦難が続いた。金氏は産経新聞とのインタビューで、韓国の政権や世論に翻弄された20年間の日々を振り返った。

「北を守りたい人たち」韓国で2002年は、00年に北朝鮮との初の首脳会談に臨んだ金大中(キム・デジュン)大統領と、後に2回目の首脳会談に臨むことになる03年からの盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と2代続いた親北左派政権の政権移行期に当たった。

そうした中、にわかに巻き起こったのが「大韓航空機事件は当時の韓国保守政権によるでっち上げで、金賢姫は偽者(の工作員)だ」というメディアや左派団体総出のキャンペーンだった。

03年には金賢姫夫妻宅の住所が流出し、自宅にメディアが押し掛けた。幼い子供を抱えた金氏は、別の場所に一時避難せざるを得なかった。「最初は2、3日ぐらいだろうと思った」(金氏)が、ここ20年間の大半を避難先で過ごすことになった。08年以降の李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)大統領と2代続いた保守政権時代も環境はさして改善されず、盧元大統領の盟友の文在寅(ムン・ジェイン)氏が17年に大統領に就くと、金氏に対する糾弾が再燃する。大韓航空機事件の被害者遺族の名誉を毀損(きそん)したとして告発された。

大韓航空機事件でっち上げ説を唱える人々について、金氏が「北朝鮮がやったという真実が嫌な人で、理念的に北朝鮮を守ってあげたくなる人たちじゃないか」と米政府系メディアのインタビューで語ったことにより、でっち上げ説を主張していた一部の遺族の名誉を傷つけたというのだ。金氏は大韓航空機爆破事件のでっち上げ説に関し、「金正日(キム・ジョンイル)総書記が指示したのではなかったという免罪符を北朝鮮への贈り物としてあげるため」当時の韓国左派政権側が工作しようとした可能性を指摘する。

突然の結婚許可
そうした左派団体やメディアの攻撃からも「盾」になって常に守ってくれたのが、韓国情報機関出身の夫だった。文政権時代に攻撃が再開したときにも「いざとなれば、世界中のメディアを呼んで事実を明らかにする」と息まき、不当な糾弾に一歩も退かなかった。その最愛の夫が昨年2月、心臓の病で急死した。言いようのない「衝撃と悲しみ」に襲われた。

夫は、金賢姫氏が大韓航空機事件直後に拘束され、韓国で取り調べを受けていた当時の情報機関の捜査チームの一人だった。ただ、捜査で中心的役目をしたわけではなく、当初は「捜査陣の一人」程度の認識しかなかった。しかし、素朴で周囲への気配りを欠かさない人柄に親しみを感じ、何かにつけて相談する「親友」になっていった。

結婚する前のある日、今の夫の先輩から何人かで食事しようと誘われた。だが、約束の場所に行ったところ、夫が一人で待っていた。夫と2人きりの場を設けるために先輩が仕組んだことが分かった。約2年間の交際が始まった。

情報機関の管理下で当時暮らしていた場所に夫が訪ねてくると、女性警護官が「デートが終われば、連絡してくれればいいから」と2人だけの時間をつくってくれるなど、困難な恋愛に周囲が配慮してくれた。だが、当局はいつまでたっても結婚を許可してくれない。1997年末ごろ、35歳を過ぎて焦っていたところ、当局が突然、早く結婚申請を済ませるようにと指示した。金大中氏が大統領選で当選し、親北左派政権となることが予想され、それを見越した機関が、北朝鮮が嫌う存在を〝厄介払い〟しようとした可能性が考えられる。

諦めかけていた結婚が実現したことだけが、金賢姫氏が唯一、親北政権の誕生に感謝する部分だ。日本語で秘密の会話、厳重な警護下に置かれ、自由に外出できない金氏に代わって夫が何でもしてくれたという。夫は金氏にとって「何もかも頼ってきた人」だった。その最愛の人を亡くした金氏を今、支えてくれているのが、ともに大学生に成長した長男と長女だ。最近まで兵役に就き、自宅から離れた大学に通うため一人暮らしをしている長男よりも、自宅から大学に通う娘が特に何かと助けてくれる。金氏が不慣れなインターネットなどIT機器の操作では、「お母さんは、のろい」と言いながら娘がよく手伝ってくれる。

北朝鮮で徹底して教育されて日本語が流暢(りゅうちょう)な母親を見て育った影響からか、娘は日本語に強い興味を示し、中高生時代に日本語を熱心に勉強した。警護員ら周囲の人に聞かれたくない母娘だけの会話をわざと日本語で話すほどだという。娘がもう一つ強い関心を示すのが母親の生い立ちだ。娘は「工作員・金賢姫」や事件に関する本もよく読むようになり、金氏は「私が死んでから読みなさない」と言うと、「お母さんが死んでからじゃなくて今読んで、話を聞きたい」とせがむ。

昨年には、娘に全てを打ち明けた。娘も「小学生のときから知っていたの。最初はショックだった」と告白した。「お母さんがきれいで、工作員に選抜されたからでしょう。お母さんは本当に苦労したんだね」と苦難が続いた母親の立場をおもんばかってくれた。娘は自宅近くの大学を選んだ理由について「お母さんが作ったご飯を食べて通いたいから」というが、母親を気遣ってのことでもあるだろう。金氏は夫を亡くした今、そばに家族がいてくれるありがたさを身に染みて感じている。(20220917産経新聞ネット版)

 |Posted 2022.9.19|