話の広場
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台湾での「2・28」事件

70年前(1947年)、鬱積(うっせき)していた中国国民党政権への不満が各地で反政府活動として火を噴き、それを国民党政権は厳しく弾圧した。当時の緊迫した情勢を描いた1989年の映画「非情城一」で広く知られるようになった。

▼国民党による独裁体制の下にあって、事件は長らくタブーとされていた。いまも真相は十分に究明されたとはいえない面がある。たとえば犠牲者の数。当局は18,000人~28,000人とする推計を明らかにしたことがある。だが、実際には10万人におよんだとの声や、逆に、1万人に達していないという見方が出ている。

▼とりわけ解明が進んでいないのは当局の動きのようだ。先週(2017年2月20日の週)、蔡 英文総統は「被害者だけがいて加害者のいない現状は改めなくてはいけない」と述べ、かって「白色テロ」の追及に意欲を示した。関連する公文書の機密解除につとめる考えも明らかにした。過去と向き合い、人々の和解をめざす取り組み、と、いえようか。

▼いうまでもないが、歴史の検証はもとになる資料があってこそだ。当局が公文書を残していなければ、難しくなる。ひるがえって日本である。自衛隊の南スーダン派遣部隊の日報をめぐるドタバタ。大阪府豊中市の国有地の売却に関する交渉記録の破棄。歴史の検証に堪えようという気概は、霞が関から伝わってこない。 (2017年2月28日・日本経済新聞・春秋)

 |Posted 2017.6.21|